興福寺慈恩会2023/11/13(日程時間・・・)

興福寺慈恩会

興福寺慈恩会(日程・・・)を紹介しています。慈恩会は隔年で11月13日に行われています。慈恩会は興福寺と薬師寺(やくしじ)が1年交代で行っています。慈恩会では中国・唐代きっての学僧で、法相宗の宗祖である慈恩大師・窺基の遺徳・学徳を偲びます。慈恩会は僧侶が問答を重ねる番論義などを行い、仏説の真意を明らかにする論義法要です。(詳細下記参照)

【興福寺慈恩会2023 日程時間(要確認)】
興福寺慈恩会2023(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は2023年(令和5年)11月13日(月曜日)19:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・興福寺ホームページ

【興福寺慈恩会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック

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【興福寺慈恩会 歴史・簡単概要】
興福寺慈恩会(じおんね)は951年(天暦5年)に興福寺第14世別当・空晴(こうじょう)が始めました。慈恩会はかつて庚申講(こうしんこう)と称されたそうです。その後慈恩会は途絶え、1896年(明治29年)に再興され、現在は興福寺と法相宗の大本山・薬師寺(やくしじ)が1年交代で行っています。ちなみに慈恩会は西暦奇数年に興福寺、西暦偶数年に薬師寺で行われます。
慈恩会では中国・唐代きっての学僧で、法相宗の宗祖である慈恩大師・窺基(きき・基(き))の遺徳・学徳を偲びます。慈恩会は僧侶が問答を重ねる番論義などを行い、仏説の真意を明らかにする論義法要です。ちなみに慈恩会はかつて数日間行われ、慈恩会に参加しないと三会と称された興福寺の維摩会(ゆいまえ)・薬師寺の最勝会(さいしょうえ)・宮中の御斎会(ごさいえ)に参加できなかったそうです。なお慈恩会では数年に一度、法相宗の僧侶に認められる為の堅義(りゅうぎ)という口答試験が行われることがあります。堅義は981年(天元4年)に始まったとも言われています。
慈恩大師・窺基は632年に唐の功臣で、父・尉遅敬徳と母・裴氏との間に生まれ、17歳で出家し、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)に師事して、玄奘三蔵が645年にインドから持ち帰った経典の翻訳に参加し、659年には訳した成唯識論を注釈し、成唯識論述記・成唯識論掌中枢要を記しました。なお慈恩大師は法苑義林章・成唯識論述記を記し、法相宗の宗義が形成されたと言われています。
●興福寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
興福寺歴史
●興福寺の見どころ(東金堂・五重塔など)を紹介しています。
興福寺見どころ

【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【興福寺慈恩会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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