薬師寺東院堂・薬師寺見どころ

●薬師寺東院堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財、1961年(昭和36年)4月27日に国宝に指定されました。
●薬師寺東院堂は奈良時代の養老年間(717年~724年)に第43代・元明天皇の次女・吉備内親王(きびないしんのう)が第43代・元明天皇の冥福を祈る為に建立しました。平安時代中期の973年(天禄4年)の火災によって焼失し、鎌倉時代の1285年(弘安8年)に再建されました。その後江戸時代中期の1733年(享保18年)に南向きから西向きに変えられたそうです。
吉備内親王は第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の第2皇子である草壁皇子(くさかべのみこ)と第43代・元明天皇の次女として生まれました。太政大臣・高市皇子(たけちのみこ)の長男で、左大臣・長屋王(ながやおう)に嫁ぎ、膳夫王(かしわでおう)・桑田王(くわたおう)・葛木王(かつらぎおう)・鉤取王(かぎとりおう)を生みました。(諸説あり)奈良時代の715年(和銅8年)に息子達が皇孫待遇になって三品(さんぼん)に叙され、724年(神亀元年)に二品(にほん)に叙されました。しかし729年(神亀6年)に長屋王の使用人の密告により、長屋王が国を傾けるため左道(邪道)を行ったされ、729年(神亀6年)3月16日に長屋王は自刃し、吉備内親王も息子達とともに縊死(いし)しました。吉備内親王は長屋王と同じく、生駒山(生馬山)に埋葬された。翌日、第45代・聖武天皇は吉備内親王を無罪とする勅命を下しました。なお長屋王の変は藤原氏の陰謀とも言われています。藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・安宿媛(あすかべひめ・光明子(こうみょうし))の立后(りっこう)に反対する長屋王を排除する為に藤原氏が起こしたと言われています。長屋王の変後に安宿媛を皇后・光明皇后にするとの詔が発せられました。
第43代・元明天皇は661年(斉明天皇7年)に第38代・天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだの いしかわまろ)の娘・姪娘(めいのいらつめ)の第4皇女として生まれました。679年(天武天皇8年)頃に第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の第2皇子で、1歳年下である甥・草壁皇子(くさかべのみこ)と結婚し、680年(天武天皇9年)に氷高皇女(第44代・元正天皇)、683年(天武天皇12年)に珂瑠皇子(第42代・文武天皇)を産みました。689年(持統天皇3年)に夫で、皇太子・草壁皇子が即位することなく亡くなり、姉で、義母である第41代・持統天皇の即位を経て、697年(文武元年)に息子・珂瑠皇子(第42代・文武天皇)が即位したが、707年(慶雲4年)に25歳で崩御しました。第42代・文武天皇の第1皇子で、孫・首皇子(第45代・聖武天皇)が幼かったことから第43代・元明天皇が即位し、首皇子がまだ若かったことから娘・氷高皇女(第44代・元正天皇)に譲位しました。第43代・元明天皇は721年(養老5年)に崩御しました。
●薬師寺東院堂は厨子に本尊・聖観音立像(国宝)を安置しています。
聖観音(しょうかんのん)は六観音の一尊です。六観音は聖観音・千手観音(せんじゅかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。
薬師寺見どころ

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