薬師寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見
薬師寺の見所は東塔・東院堂・玄奘三蔵院・大講堂です。
薬師寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が奈良時代前期に建立され、山内最古の東塔(国宝)、2位が鎌倉時代後期に再建された東院堂(国宝)、3位が平山郁夫が描いた大唐西域壁画殿がある奘三蔵院です。番外は大講堂です。(詳細下記参照)
- 奈良時代に建立され、1,300年近い歴史がある東塔(国宝)
- 鎌倉時代に再建され、700年以上の歴史がある東院堂(国宝)
- 平成に建立され、30年ほどの歴史しかない玄奘三蔵院
- 平成に建立され、20年ほどの歴史しかない大講堂
【奈良時代に建立され、1,300年近い歴史がある東塔(国宝)の見所】
東塔は奈良時代(710年~794年)前期に建立され、その後焼失などを免れたことから1,300年近い歴史があります。東塔は山内最古の建物と言われています。東塔は2020年(令和2年)12月に全面解体修理が完了して工事用柵が撤去され、近付いて拝観するのがおすすめです。東塔は一見六重塔のように見える三重塔だが、日本国内で京都東寺の五重塔・奈良興福寺の五重塔・京都醍醐寺の五重塔に次ぐ、4番目に高い塔です。近付いて拝観すると総高約34.1メートルの三重塔の高さを感じることができます。ちなみに東洋美術史家・哲学者であるアーネスト・フェノロサは大小の屋根・裳階がおりなすバランスを「凍れる音楽」と称したとも言われ、その美しさを感じられるかもしれません。また東塔は1981年(昭和56年)に再建された西塔と見比べながら拝観するのもおすすめです。西塔は500年後に東塔と同じ高さになるように東塔よりも約30センチ高く再建されました。なお東塔・西塔は薬師寺(近鉄橿原線)の西側にある大池越しに眺めるのもおすすめです。天候がよければ、東側の若草山まで見ることができます。大池越しの東塔・西塔の光景は奈良を代表する光景のひとつです。なお東塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
- 歴史-東塔は奈良時代(710年~794年)前期の730年(天平2年)に建立されたと言われています。東塔は薬師寺山内の最古の建物と言われています。ちなみに東塔は藤原京で建立されて移されたのか、平城京で新築されたのかという議論があったが、2016年(平成28年)に心柱が719年(養老3年)に伐採されたことが分かり、平城京で新築された可能性が高まったそうです。ただ地震・台風などで損傷し、戦国時代(1493年~1590年)の1524年(大永4年)・江戸時代(1603年~1868年)前期の1644年(寛永21年)・1783年(天明3年)・1808年(文化5年)・1856年(安政3年)・1898年(明治31年)・1950年 (昭和25年)など度々修理されました。2009年(平成21年)から史上初の全面解体修理が開始され、2020年(令和2年)12月に完了しました。
【鎌倉時代に再建され、700年以上の歴史がある東院堂(国宝)の見所】
東院堂は鎌倉時代(1185年~1333年)後期に再建され、700年以上の歴史があります。本尊・聖観世音菩薩像は飛鳥時代(710年~794年)後期(白鳳期)または奈良時代(710年~794年)に造仏されたと言われ、1,300年~1,200年の歴史があります。東院堂は正面から近付いて拝観するのがおすすめです。近付いて拝観すると正面7間・側面4間の大きさを感じることができます。また東院堂は水害や湿気を避ける為に基檀(きだん)が高いと言われ、その高さを感じることもできます。東院堂は禅宗が鎌倉時代(1185年~1333年)から盛んになったが、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例とも言われ、その時代を感じられるかもしれません。なお東院堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財、1961年(昭和36年)4月27日に国宝に指定されました。
- 歴史-東院堂は奈良時代(710年~794年)前期の養老年間(717年~724年)に長屋王の正妃・吉備内親王が母である第43代・元明天皇の冥福を祈る為に建立したが、平安時代(794年~1185年)中期の973年(天禄4年)の火災で焼失し、鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1285年(弘安8年)に再建されました。その後江戸時代(1603年~1868年)中期の1733年(享保18年)に南向きから西向きに変えられました。
- 仏像-東院堂は本尊・像高約188.9センチの聖観世音菩薩像(国宝)を安置しています。聖観世音菩薩像は一般の観世音菩薩像と逆に左手を挙げ、右手を垂れています。インドのグプタ王朝の影響を受けたとも言われています。また東側に持国天、南側に増長天、西側に広目天、北側に多聞天が配され像高190センチ前後の四天王立像(重要文化財)も安置しています。
- 重要人物-元明天皇は661年(斉明天皇7年)に第38代・天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘の子として生まれました。679年(天武天皇8年)頃に第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の皇子で、甥・草壁皇子と結婚し、680年(天武天皇9年)に氷高皇女(第44代・元正天皇)、683年(天武天皇12年)に珂瑠皇子(第42代・文武天皇)を産みました。689年(持統天皇3年)に草壁皇子が天皇に即位することなく亡くなり、姉である第41代・持統天皇の即位を経て、697年(文武元年)に子・珂瑠皇子(第42代・文武天皇)が即位したが、707年(慶雲4年)に崩御しました。第42代・文武天皇の第1皇子で、孫・首皇子(第45代・聖武天皇)が幼かったことから元明天皇が即位し、首皇子がまだ若かったことから娘・氷高皇女(第44代・元正天皇)に譲位しました。元明天皇は721年(養老5年)に崩御しました。
【平成に建立され、30年ほどの歴史しかない玄奘三蔵院の見所】
玄奘三蔵院は平成に建立され、歴史が浅く、30年ほどの歴史しかありません。玄奘三蔵院では玄奘塔や大唐西域壁画殿を拝観するのがおすすめです。玄奘三蔵院には日本画家・平山郁夫が30年の歳月を掛けて制作した縦約2.2メートル・長さ約49メートルの大唐西域壁画(だいとうさいいきへきが)があります。大唐西域壁画は7場面・13枚から構成されています。ちなみに平山郁夫は玄奘三蔵の旅した地を実際に訪れ、その17年の旅を追体験して描いたそうです。
- 歴史-玄奘三蔵院は1991年(平成3年)に白鳳伽藍の北側に建立されました。
- 仏像-玄奘塔は法相宗の鼻祖(始祖)で、唐(中国)の訳経僧・玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)を収め、玄奘三蔵像を安置しています。頂骨は太平洋戦争(日中戦争)中の1942年(昭和17年)に中国・南京で発見され、その後全日本仏教会に分骨され、1981年(昭和56年)に埼玉県さいたま市の慈恩寺から薬師寺に分骨されました。
【平成に建立され、20年ほどの歴史しかない大講堂の見所】
大講堂は平成に再建され、歴史が浅く、20年ほどの歴史しかありません。大講堂は金堂と食堂の間に建立されています。大講堂は正面約41メートル・奥行約20メートル・高さ約17メートルの山内最大の建物で、近付くとその大きさを感じることができます。大講堂は白鳳伽藍(はくほうがらん)の雄大さを象徴しているとも言われているそうです。
- 歴史-大講堂は2003年(平成15年)に再建されました。大講堂はかつて戦国時代(1493年~1590年)の1528年(享禄元年)の享禄の兵火で高さ約9メートル・幅約6.5メートルの本尊・阿弥陀三尊繍仏とともに焼失し、江戸時代(1603年~1868年)後期の1852年(嘉永5年)にかつての規模よりも小さい大講堂が再建されたが、2003年(平成15年)の再建の際に解体されました。
- 仏像-大講堂は像高約267センチの弥勒如来を中心とした弥勒三尊像(重要文化財)・仏足石(国宝)・仏足跡歌碑(国宝)を安置しています。弥勒三尊像はかつて大和郡山市の植槻寺(うえつきでら)に安置され、中世に薬師寺の西院伽藍に移され、その後旧講堂の本尊として安置されていました。また弥勒三尊像は金堂に安置されている薬師三尊像(国宝)を模して造仏されたとも言われています。なお植槻寺は飛鳥時代(592年~710年)末期の709年(和銅2年)に藤原不比等が創建し、奈良時代(710年~794年)に建法寺と称していたが、その後廃寺になったそうです。植槻寺の鎮守であった植槻八幡神社が残されています。
【薬師寺 備考】
*参考・・・薬師寺(見所・アクセス・・・)ホームページ