元興寺かえる石供養2024/7/7(日程時間・・・)

元興寺かえる石供養

元興寺かえる石供養(日程・・・)を紹介しています。かえる石供養は例年7月7日に行われています。かえる石はかつて大阪城に置かれていたが、第二次世界大戦中に行方不明になり、その後1958年(昭和33年)に元興寺に移されました。その際かつて殺生石とも言われたかえる石に関わる有縁無縁一切の霊が供養され、極楽カエルに成就させられたそうです。(詳細下記参照)

【元興寺かえる石供養2024 日程時間(要確認)】
元興寺かえる石供養2024は2024年(令和6年)7月7日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・元興寺ホームページ

【元興寺かえる石供養 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市中院町11
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
*JR奈良線・奈良駅からバスの場合、田中町(徒歩約5分)
*近鉄奈良線・奈良駅からバスの場合、福智院町(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【元興寺かえる石供養 歴史・簡単概要】
元興寺かえる石供養(かえるいしくよう)では例年7月7日にかえる石にまつわる諸霊を供養します。かえる石(蛙石)はガマガエルのような石で、かつては大阪城に置かれていたが、第二次世界大戦中に行方不明になり、その後1958年(昭和33年)に元興寺に移されました。その際かつて殺生石とも言われたかえる石に関わる有縁無縁一切の霊が供養され、極楽カエルに成就させられたそうです。なお現在かえる石は転禍為福から衆生の願い聞き、「無事かえる」・「福かえる」のご利益があるとも言われています。
かえる石は元々大阪河内の川縁にあり、殺生石とも言われていたが、関白・豊臣秀吉が気に入り、大坂城内に移したと言われています。かえる石には大坂夏の陣で大阪城が落城した際、秀吉の側室・淀君の遺骸が下に埋められ、怨念がこもっているとも言われていたそうです。またかえる石は大阪城の堀近くに置かれ、堀に身投げした者は必ずかえる石の下に引き寄せられるとも言われていたそうです。なおかえる石は古来から奇石として有名で、江戸時代に奇石を集めた「雲根志(うんこんし・木内石亭(きうちせきてい)著)」にも記されていたそうです。
●元興寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
元興寺歴史
●元興寺の見どころ(本堂・禅室など)を紹介しています。
元興寺見どころ

【元興寺 歴史・簡単概要】
元興寺(がんごうじ)は588年(崇峻天皇元年)蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺とも言われたそうです。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の名称は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊とも言われ、発展しました。1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)には元興寺に名称を改めました。なお元興寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
元興寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【元興寺かえる石供養 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)情報

関連記事

奈良観光おすすめ

  1. 柳生一刀石
  2. 若草山(Mt. Wakakusa-yama)
  3. 吉野山
ページ上部へ戻る