正暦寺冬至祭2024/12/22(日程時間・・・)

正暦寺冬至祭

正暦寺冬至祭(日程・・・)を紹介しています。冬至祭は例年12月22日に行われています。冬至祭では本堂に安置されている不動明王前に塗り箸を挿した南瓜(かぼちゃ)を供え、護摩壇で護摩祈祷を行って、身体健康・厄除けを祈願します。冬至祭では参拝者への加持も行われます。なお精進料理の接待(有料・要予約)も行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【正暦寺冬至祭2024 日程時間(要確認)】
正暦寺冬至祭2024は2024年(令和6年)12月22日(日曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・正暦寺ホームページ

【正暦寺冬至祭 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市菩提山町157
最寄り駅・バス停・・・柳茶屋(徒歩約30分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からバス・米谷町行き
*紅葉シーズン(11月中旬~12月初旬)にはJR奈良駅・近鉄奈良駅から臨時バスが出る予定です。(要確認)
路線・時刻表・運賃チェック

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【正暦寺冬至祭 歴史・簡単概要】
正暦寺冬至祭(とうじさい)・中風封じ祈祷では本堂に安置されている不動明王前に塗り箸を挿した南瓜(かぼちゃ)を供え、護摩壇で護摩祈祷を行って、身体健康・厄除けを祈願します。冬至祭では参拝者への加持も行われます。なお冬至祭では昔から冬至に南瓜を食べると中風(ちゅうふう)にならないとも言われることから福寿院・客殿で精進料理の接待(有料・要予約)も行われます。(要確認)
中風は言語障害・手足のしびれやまひ・片まひ・半身不随などの脳血管障害の後遺症の症状を指すそうです。
福寿院・客殿(重要文化財)は1681年(延宝9年)に建立されました。客殿には絵師で、京狩野3代目・狩野永納が描いた富嶽襖絵があります。なお客殿には孔雀明王像(奈良県の指定重要文化財)です。
南瓜は南北アメリカ大陸原産のウリ科カボチャ属の緑黄色野菜です。南瓜(東洋かぼちゃ)は天文年間(1532年~1555年)にポルトガル人がカンボジアから日本(豊後・大分)に伝え、かぼちゃと言われるようになったと言われています。
冬至は二十四節気のひとつで、例年12月22日頃です。冬至では太陽の南中高度が一番低く、北半球では1年中で昼間が一番短く、夜間が一番長くなります。なお冬至ではゆず湯に入ったり、南瓜を食べたり、小豆粥を食べたりする風習があります。

【正暦寺 歴史・簡単概要】
正暦寺(しょうりゃくじ)は992年(正暦3年)関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の子・兼俊僧正(けんしゅんそうじょう)が第66代・一条天皇の勅命によって創建したと言われています。正暦寺は勅願寺になり、86院もの塔頭(たっちゅう)が渓流を挟んであったと言われています。しかし1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討により、全山が焼失し、寺領も没収され、一時は廃墟になったとも言われています。その後1218年(建保6年)興福寺(こうふくじ)・大乗院(だいじょういん)門跡の住職で、関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子・信円僧正(しんえんそうじょう)が法相宗の学問所として再興しました。正暦寺は大乗院門跡が兼帯し、興福寺の別院・正願院門跡になったとも言われています。また建暦年間(1211年~1218年)頃に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子・蓮光法師が草庵(安養院・別院の迎接院)を結んだと言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に再興された82院の塔頭によって伽藍が整備されたが、1629年(寛永6年)に焼失しました。なお江戸中期以降に京都・仁和寺(にんなじ)の末寺になったが、1967年(昭和42年)には仁和寺から独立しました。
正暦寺は菩提山真言宗の本山です。
*参考・・・正暦寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ正暦寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

【正暦寺冬至祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
正暦寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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