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秋篠寺本堂・秋篠寺見どころ(修学旅行・観光)
秋篠寺本堂
●秋篠寺本堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。
●秋篠寺本堂は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に旧・講堂跡に再建されました。秋篠寺は奈良時代後期の776年(宝亀7年)に法相六祖(ほっそうろくそ)に数えられる善珠(ぜんしゅ)が第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の勅願によって創建したとも言われています。「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると780年(宝亀11年)に第49代・光仁天皇が食封(じきふ)一百戸を施入したと記され、それ以前に創建されていたとも言われています。秋篠寺には金堂・講堂・東西両塔などの伽藍を有していたが、平安時代後期の1135年(保延元年)の火災で講堂以外の伽藍を焼失し、金堂・東西両塔の跡は雑木林になり、8個の礎石が残されています。なお本堂は本尊である薬師三尊像(重要文化財)を中心に十二神将像・地蔵菩薩立像(重要文化財)・帝釈天立像(重要文化財)・伎芸天立像(重要文化財)など25体を安置しています。伎芸天立像はその優美な姿がよく知られています。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
伎芸天立像は本堂仏壇の向かって左端に置かれています。伎芸天立像は像高約206.0センチで、頭部が奈良時代の脱活乾漆造(だつかつかんしつぞう)、体部が鎌倉時代の木造による補作です。伎芸天立像は日本で唯一現存する伎芸天像とも言われています。伎芸天立像は瞑想的な表情で、優雅な身のこなしの像容であることから芸術家・芸能人などに広く親しまれています。
伎芸天は仏教守護の天部の一尊です。伎芸天は大自在天(だいじざいてん・摩醯首羅天(まけいしゅら))の髪の生え際から誕生した天女とされています。伎芸天は容姿端麗で、器楽の技芸に優れ、技芸修達・福徳円満の護法善神とされています。伎芸天は「摩醯首羅大自在天王神通化生伎芸天女念誦法(まけいしゅらだいじざいてんのうじんつうけしょうぎげいてんにょねんじゅほう)」によると天衣を身に着け、金銀真珠の宝石で飾り、左手は天華(てんげ)を持ち、右手は裳裾(もすそ) をつまみます。
●秋篠寺本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は鎌倉時代の再建だが、奈良時代の建築を思わせる様式が残されています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
秋篠寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)