賀名生皇居跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
賀名生皇居跡
賀名生皇居跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。賀名生皇居跡ゆかりの第96代・後醍醐天皇は1332年(元弘2年)に鎌倉幕府の倒幕に失敗して隠岐島に流され、1333年(元弘3年)に足利尊氏の協力によって復権して建武の新政を始めたが、1336年(建武3年)に吉野に逃れて南朝を開き、1339年(延元4年)に吉野で亡くなりました。
【賀名生皇居跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県五條市西吉野町賀名生
最寄り駅・バス停・・・賀名生和田北口(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*JR五条駅から奈良交通バス・十津川温泉行きまたは城戸行きまたは西吉野温泉行き
*近鉄大和八木駅から奈良交通バス・十津川行きまたは新宮行き
路線・時刻表・運賃チェック
【賀名生皇居跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【賀名生皇居跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【賀名生皇居跡 歴史・簡単概要】
賀名生皇居跡(あのうこうきょあと)は奈良県五條市西吉野町賀名生にあります。賀名生皇居跡は一級河川・丹生川(にうがわ)沿いの谷に位置しています。賀名生皇居跡は南北朝時代の1336年(延元元年・建武3年)の年の暮れに第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)によって京都の花山院を追われ、吉野に向かう際に立ち寄り、郷士・堀孫太郎信増が手厚くもてなしたと言われています。その後南朝第2代で、第97代・後村上天皇(ごむらかみてんのう)、南朝第3代で、第98代・長慶天皇(ちょうけいてんのう)、 南朝第4代で、第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)の皇居になりました。ちなみに賀名生の地名は元々「穴生(あなふ)」と書かれていたが、後村上天皇が吉野から行宮を移した際、南朝による朝廷の統一を願って「叶名生(かなう)」と改め、1351年(正平6年・観応2年)に室町幕府の内紛(観応の擾乱)により、足利尊氏が南朝に降伏して一時的に統一が叶った正平一統により、「賀名生」に改められたと言われています。明治時代に読みが「かなう」から「あのう」に戻されたそうです。幕末(江戸時代末期)に天誅組(てんちゅうぐみ)の吉村寅太郎が訪れ、行宮跡で「賀名生皇居」の扁額を記しました。賀名生皇居跡には「南朝三帝賀名生皇居之址」の碑が建てられています。なお賀名生皇居跡(堀家住宅)は国の重要文化財に指定されています。
*参考・・・堀家住宅(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【賀名生皇居跡 見どころ・文化財】
賀名生皇居跡の見どころは国の重要文化財に指定されている堀家住宅です。堀家住宅は室町時代後期(1467年~1572年)に建てられました。堀家住宅は桁行約17.6メートル・梁間約13.8メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)です。またしだれ桜も見どころです。しだれ桜は樹齢100年ほどのエドヒガン(江戸彼岸)の一本桜です。しだれ桜は例年3月下旬頃~4月上旬頃に見ごろを迎えます。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【賀名生皇居跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0747-32-9010(賀名生の里歴史民俗資料館)
【賀名生皇居跡 おすすめ散策ルート】
賀名生皇居跡では東側にある八坂神社を散策するのがおすすめです。南西には賀名生梅林があり、早春には賀名生梅林を散策するのもいいかもしれません。
【賀名生皇居跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。