大安寺弁才天夏祭り/7/(日程時間・・・)
大安寺弁才天夏祭り
大安寺弁才天夏祭り(日程・・・)を紹介しています。弁才天夏祭りは例年7月7日に行われています。弁才天夏祭りは七福神の一人である弁財天の縁日に行われます。なお弁才天夏祭りが行われる7月7日は七夕の為、願い事を書く短冊(たんざく)も用意されています。なお弁財天は仏教の守護神である天部(てんぶ)の一尊です。(詳細下記参照)
【大安寺弁才天夏祭り2019 日程時間(要確認)】
大安寺弁才天夏祭り2019は2019年(令和元年)7月7日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大安寺ホームページ
【大安寺弁才天夏祭り アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市大安寺2-18-1
最寄り駅・バス停・・・大安寺(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から大安寺行き・シャープ前行き・白土町行き
路線・時刻表・運賃チェック
【大安寺弁才天夏祭り 歴史・簡単概要】
大安寺弁才天夏祭り(べんざいてんなつまつり)は七福神の一人である弁才天の縁日に行われます。なお弁才天夏祭りが行われる7月7日は七夕の為、願い事を書く短冊(たんざく)も用意されています。
弁才天(弁財天)は仏教の守護神である天部(てんぶ)の一尊です。弁才天はインドでサラスバティー川の河神とされていたが、仏教に取入れられて音楽・財富・知恵・延寿などを司る女神とされました。日本では七福神(毘沙門天・恵比寿・大黒天・寿老人・福禄寿・布袋)に数えられ、財福の神とされています。ちなみに弁才天信仰は奈良時代には既に始まっていたとも言われています。
願いごとを書いて星に祈る七夕は日本の古い神事である棚機(たなばた)・織姫と彦星の伝説・奈良時代に中国から伝わった乞巧奠(きこうでん)が結び付いたと言われいます。先ず棚機では棚機女(たなばたつめ)が清い水辺にある機屋(はたや)に籠もって、神さまへの着物を織り、その着物を棚に供えて、豊穣を祈願したり、穢れを祓いました。次に織姫と彦星の伝説は天帝の娘で、機織が上手な働き者・織姫と牛追いで働き者・彦星は天帝から結婚を認められたが、結婚後には織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなったことから天帝が怒り、織姫と彦星を天の川の対岸に引き離したが、年に1度の7月7日だけ天帝は会うことを許したというものです。最後に乞巧奠(きこうでん)では7月7日に織姫にあやかり、機織や裁縫が上達するように星に祈願しました。
【大安寺 歴史・簡単概要】
大安寺(だいあんじ)は第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)がお釈迦様の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に倣って、平群郡額田部(へぐりぐんぬかたべ)に熊凝道場(くまごりしょうじゃ)を創建したのが起源と言われています。熊凝道場跡には現在額安寺(かくあんじ)が創建されています。その後官寺になったが、百済大寺(くだらおおでら)・高市大寺(たけちだいじ)・大官大寺(だいかんだいじ)と名称や場所を変え、平城京に移って大安寺になりました。大安寺には東西に2基の七重塔が建立され、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)・元興寺(がんごうじ)・薬師寺(やくしじ)・西大寺(さいだいじ)とともに南都七大寺に数えられ、南大寺とも言われましたそうです。その後829年(天長6年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が別当に就いたり、859年(貞観元年)に八幡神を勧請したりしたが、その後徐々に衰退し、1017年(寛仁元年)の火災によって伽藍の多くが焼失しました。なお近世には小堂ひとつだったと言われているが、近世以降に現在の本堂などが再建されました。
大安寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・大安寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【大安寺弁才天夏祭り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大安寺(アクセス・見どころ・・・)情報