元興寺仏足石供養2024年12月8日(日程時間・・・)
元興寺仏足石供養
元興寺仏足石供養(日程・・・)を紹介しています。仏足石供養は例年12月8日に行われています。仏足石供養では仏足石前でお釈迦様を讃えます。なお仏足石は仏像が誕生する前に法輪・塔・菩提樹などとともに信仰の対象のひとつとして生まれました。仏足石はお釈迦様がインド各地を回って教えを説いたことに由来するとも言われています。(詳細下記参照)
【元興寺仏足石供養2024 日程時間(要確認)】
元興寺仏足石供養2024は2024年(令和6年)12月8日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・元興寺ホームページ
【元興寺仏足石供養 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市中院町11
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
*JR奈良線・奈良駅からバスの場合、田中町(徒歩約5分)
*近鉄奈良線・奈良駅からバスの場合、福智院町(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック
【元興寺仏足石供養 歴史・簡単概要】
元興寺仏足石供養(ぶっそくせきくよう)では仏足石前でお釈迦様を讃えます。ちなみに仏足石は2012年(平成24年)にスリランカのメンディス駐日次席大使などが参列し、住職・辻村泰善と元興寺で修行したスリランカの大僧正・ウィマラを導師に開眼法要が行われました。なお仏足石は住職・辻村泰善と前住職・辻村泰円がスリランカ南部の寺院跡の仏足石から採取した拓本を元に京都の石工・西村大造さんが製作しました。仏足石は縦約75センチ・横約70センチの花崗岩製です。
お釈迦様(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦様は約2500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
仏足石は仏教が生まれたインドで仏像が誕生する前に法輪・塔・菩提樹などとともに信仰の対象のひとつとして生まれました。仏足石はお釈迦様が約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説いたことに由来するとも言われています。仏足石はインドから中国を経て日本に伝わり、753年(天平勝宝5年)の銘がある薬師寺の仏足石が日本最古の仏足石とも言われています。仏足石はは仏脚石(ぶっきゃくせき)・仏足跡(ぶっそくせき)とも言われています。
●元興寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
元興寺歴史
●元興寺の見どころ(本堂・禅室など)を紹介しています。
元興寺見どころ
【元興寺 歴史・簡単概要】
元興寺(がんごうじ)は588年(崇峻天皇元年)蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺とも言われたそうです。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の名称は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊とも言われ、発展しました。1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)には元興寺に名称を改めました。なお元興寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
元興寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【元興寺仏足石供養 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)情報