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長岳寺庫裏・長岳寺見どころ(修学旅行・観光)
長岳寺庫裏
●長岳寺庫裏は1955年(昭和30年)6月22日に国の重要文化財に指定されました。
●長岳寺庫裏は江戸時代前期の1630年(寛永7年)に建立されました。庫裏は解体修理の際に棟札が発見され、かつて長岳寺山内に四十八ヶ坊あった塔頭・地蔵院として建立されたが、現在は長岳寺の庫裏として使用されています。庫裏では寺料理として三輪素麺を味わうことができます。(要確認)
一般的に庫裏(庫裡・庫院)は寺院の僧侶の居住する場所や食事を調える場所です。庫裏は禅宗寺院で、仏殿・三門(山門)・僧堂・法堂・浴室・東司とともに七堂伽藍に数えられました。庫裏は大規模な寺院では独立した建物として建立されるが、一般的な寺院では寺の事務を扱う寺務所と兼用となっていることが多くなっています。
三輪素麺(みわそうめん)は奈良県桜井市を中心とする三輪地方(大和国三輪)で生産されています。三輪地方は素麺発祥の地とも言われています。三輪素麺は奈良時代に遣唐使(けんとうし)が小麦の栽培や製粉技術を伝えたのが起源とも言われています。また「延喜式(えんぎしき)・(平安時代中期)」に記されている唐(中国)から伝わった唐菓子・索餅(さくべい)が起源で、その後素麺に変化したとも言われています。更に伝説によると紀元前91年(崇神天皇7年)に大物主命(おおものぬしのみこと)の5世の孫・大田田根子命(おおたたねこのみこと)が大神神社(おおみわじんじゃ)の大神主に任ぜられ、その15世の孫で、大神主・大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の次男・穀主(たねぬし)が飢饉と疫病に苦しむ住民の救済を祈願すると神の啓示を賜り、肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実を水車の石臼で粉に挽き、湧き水でこね延ばして糸状にしたものが起源とも伝えられています。なお素麺は室町時代から南都諸寺院などで非時食として食べられるようになり、室町時代末期に宮廷料理として食べられるようになり、江戸時代末期に一般的に食べられるようになったとも言われています。
●長岳寺庫裏は桁行約19.3メートル・梁間約12.9メートルで、切妻造(きりつまづくり)の杉皮葺(すぎかわぶき)です。庫裏は玄関が唐破風造(からはふづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。庫裏は室町時代の書院造(しょいんづくり)の様式を伝えています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。
杉皮葺は屋根葺手法の一形式です。杉皮葺では杉(すぎ)の樹皮を用いて屋根を葺きます。なお杉皮は杉の幹の皮をはいだもので、屋根・塀(かべ)・壁板(したみ)などに使われています。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
長岳寺