朝護孫子寺の桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)

朝護孫子寺桜

朝護孫子寺の桜見ごろ・アクセス・概要

朝護孫子寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。朝護孫子寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。朝護孫子寺では染井吉野・山桜・枝垂桜などの桜の木が植えられ、桜と信貴山・伽藍などの光景が美しいと言われています。朝護孫子寺では桜が見ごろを迎える時期に桜まつりが行われています。(要確認)桜まつりでは境内にある約2,000基の石灯籠に日没後から火が灯されます。(詳細下記参照)

【朝護孫子寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
朝護孫子寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025

【朝護孫子寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
最寄り駅・バス停・・・信貴山門(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR王寺駅から奈良交通バス・信貴山門行き
路線・時刻表・運賃チェック

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【朝護孫子寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
朝護孫子寺は桜の名所です。朝護孫子寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。市街地よりも見ごろが少し遅くなります。
朝護孫子寺では染井吉野(ソメイヨシノ)・山桜(ヤマザクラ)・枝垂桜(シダレザクラ)などの桜の木が植えられ、桜と信貴山・伽藍などの光景が美しいと言われています。朝桜が見ごろを迎える時期に桜まつりが行われています。(要確認)桜まつりでは境内にある約2,000基の石灯籠に日没後から火が灯され、本堂がライトアップされるそうです。またぼんぼんも境内に吊るされるそうです。
●灯籠(灯篭)は飛鳥時代(592年~710年)の仏教伝来とともに中国から伝来し、奈良時代(710年~794年)に多くの寺院で造られるようになったとも言われています。灯籠は元々仏像に清浄な灯りを献じる役割があるとも言われています。
●本堂は1592年(文禄元年)に関白・豊臣秀吉が再建したとも、1602年(慶長7年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が再建したとも言われています。その後修復され、1746(延享3年)に完成しました。しかし1951年(昭和26年)の火災で焼失し、1958年(昭和33年)に再建されました。なお本堂は本尊である毘沙門天王像(奥秘仏・中秘仏・お前立ち)が安置され、奥秘仏・中秘仏は特別な行事や時期にご開帳されます。

●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ

【朝護孫子寺 歴史・簡単概要】
朝護孫子寺は起源が明確ではありません。朝護孫子寺は寺伝によると第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子が創建したとも言われています。聖徳太子は廃仏派の物部守屋を討伐する際、河内稲村城に向かう途中の信貴山で戦勝祈願をすると天空から毘沙門天が出現し、587年(用明天皇2年)に必勝の秘法を授けられて勝利したことから自ら毘沙門天を刻んで、伽藍を建立したとも言われています。ちなみに聖徳太子は信ずべし貴ぶべき山として信貴山と名付け、秘法を授けられた日が582年(敏達天皇11年)の寅年、寅日、寅の刻であったことから毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されるようになったそうです。その後910年(延喜10年)に命蓮上人が勅命により、第60代・醍醐天皇の病気平癒を毘沙門天王に祈願したところ病気が平癒し、第60代・醍醐天皇の朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願寺として、勅号・朝護孫子寺を賜りました。1536年(天文5年)に木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築き、1577年(天正5年)に城主・松永久秀と織田信長による信貴山攻防戦によって焼失しました。その後1610年(慶長15年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が再建しました。
*参考・・・朝護孫子寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【朝護孫子寺桜 備考】
朝護孫子寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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