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円成寺本堂(阿弥陀堂)・円成寺見どころ(修学旅行・観光)
円成寺本堂(阿弥陀堂)
●円成寺本堂(阿弥陀堂)は1952年(昭和27年)7月19日に国の重要文化財に指定されました。
●円成寺本堂(阿弥陀堂)は寺伝によると室町時代中期の1466年(文正元年)に再建されたとも言われています。また棟木銘によると1472年(文明4年)に再建されたとも言われています。1958年(昭和33年)から行われた復元・解体修理により、本堂は平安時代後期の1112年(天永3年)に建立され、1466年(文正元年)に焼失した旧・本堂(藤原時代の阿弥陀堂様式)の規模・様式をそのままに再建したものと言われています。本堂には本尊・阿弥陀如来坐像(重要文化財)、その四方に四天王立像(重要文化財)が安置されています。また内陣の柱には阿弥陀如来に随って来迎する二十五菩薩も描かれています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏・無量寿仏とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は大乗仏教の経典「無量寿経」によると世自在王仏のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘という菩薩であったが、48の誓願を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人を宗祖とする浄土宗・親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗・一遍上人を宗祖とするを時宗が成立しました。
四天王は多聞天(毘沙門天)・増長天・広目天・持国天です。四天王はインド神話時代から護世神とされ、仏教では古代インドの世界観で中心にそびえる須弥山中腹の東西南北の四方に住し、仏法の守護神とされています。四天王は須弥山頂上のとう利天に住む帝釈天に仕え、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薜茘多・那伽・富單那・夜叉・羅刹の八部鬼衆を支配するとされています。大乗経典「金光明経」では四天王を信仰すると国家安穏・五穀豊穣になるとされ、日本では仏教伝来とともに国家的に信仰されました。
二十五菩薩は臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えに来る菩薩です。二十五菩薩は観世音菩薩・薬王菩薩・大勢至菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・陀羅尼菩薩・法自在王菩薩・白象王菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・光明王菩薩・山海恵菩薩・金剛蔵菩薩・華厳菩薩・日照王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・三昧菩薩・獅子吼菩薩・大威徳菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・無辺身菩薩です。
●円成寺本堂(阿弥陀堂)は正面三間・側面四間で、入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。本堂は春日造社殿に両廂(ひさし)付で、局(つぼね)・宝蔵(ほうぞう)・経蔵(きょうぞう)・籠堂(こもりどう)・御堂(みどう)を設け、向拝(こうはい)に舞台があります。屋根は縋破風(すがるはふ)屋根になっています。なお本堂は全体的に寝殿造(しんでんづくり)風の意匠になっています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
円成寺見どころ