円証寺五輪塔・円証寺見どころ(修学旅行・観光)

円証寺五輪塔

●円証寺五輪塔は1961年(昭和36年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
●円証寺五輪塔は「順昭榮舜坊 天文十九年庚戌六月廿日」の刻銘から室町時代後期(戦国時代)の1550年(天文19年)に建立されました。五輪塔は1550年(天文19年)8月2日(旧暦6月20日)に亡くなった筒井順昭(つついじゅんしょう)の供養塔とされています。なお五輪塔は総高260.1センチの石造で、各輪四方に四門の梵字が刻まれています。
筒井順昭は戦国時代(室町時代後期)の1523年(大永3年)3月2日に大和(奈良)興福寺(こうふくじ)の衆徒で、戦国大名・筒井順興(つついじゅんこう)の嫡男として生まれました。1535年(天文4年)8月3日に父・筒井順興が名来ると家督を継ぎ、1538年(天文7年)に出家したと言われています。1537年(天文6年)から奈良盆地南側に勢力を持っていた越智氏(おちし)に対抗する為、河内・山城南部の守護代で、河内飯盛山城(いいもりやまじょう)城主・大和信貴山城(しぎさんじょう)城主である木沢長政(きざわながまさ)と結んで勢力を拡大し、1540年(天文9年)に対立していた大和龍王山城(りゅうおうざんじょう)城主・十市遠忠(とおちとおただ)と和睦しました。1542年(天文11年)に木沢長政が亡くなると残存の木沢勢破り、1546年(天文15年)に越智氏を貝吹山城(かいぶきやまじょう)で破り、大和一国をほぼ支配するようになりました。しかし1549年(天文18年)に病気を苦にして家臣数人を連れて比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)に隠居しました。天然痘(てんねんとう)・脳腫瘍(のうしゅよう)を患っていたとも言われています。翌1550年(天文19年)8月2日に28歳で本拠地・筒井城(つついじょう)で病死しました。嫡男・筒井順慶(つついじゅんけい)が数え年2歳で家督を継ぎ、いずれも筒井順昭の弟である筒井順政(つついじゅんせい)・筒井順国(つついじゅんこく)らが補佐し、大和支配を維持しました。筒井順昭の妻・大方殿(おおかたどの)は興福寺近くの林小路(奈良市林小路町)にあった外館を寺院に改め、大和国添下郡筒井庄(大和郡山市)の円証寺の寺籍を林小路に移し、筒井順昭の菩提寺にしました。また嫡男・筒井順慶が数え年2歳であったことからその死は伏せられ、筒井順昭に姿格好や声が似ていた盲目の僧・木阿弥(もくあみ・黙阿弥)が影武者(かげむしゃ)になり、影武者の役割が終わると僧・木阿弥に戻ったことから「元の木阿弥(黙阿弥)」という言葉が生まれたと言われています。
円証寺

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