不動院本堂・不動院見どころ(修学旅行・観光)

不動院本堂

●不動院本堂は1925年(大正14年)4月24日に国の重要文化財に指定されました。
●不動院本堂は棟木の墨書銘によると室町時代後期の1483年(文明15年)に高田城城主・當麻為長(とうまためなが)が大願主になって建立されました。本堂は鎌倉時代に造仏された本尊・金剛界(こんごうかい)大日如来(だいにちにょらい)坐像を安置しています。
當麻氏は奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山(にじょうさん)東麓を本拠とした古代豪族です。山から凝灰石(ぎょうかいがん)を切り出して供給し、財力を蓄えたとも言われています。飛鳥時代後期の681年(天武天皇10年)に當麻真人国見(たいまのまひとくにみ)が當麻氏の氏寺として當麻寺を創建したと言われています。當麻氏は室町時代中期の1432年(永享4年)に室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)の命によて高田城城主に任じられました。當麻為長は1471年(文明3年)に一族の武運長久(ぶうんちょうきゅう)と先祖の菩提(ぼだい)を弔う為、高田城に隣接して常光寺(じょうこうじ)を創建しました。1482年(文明14年)に天神社(てんじんしゃ)を修復し、1484年(文明16年)に不動院の前身となる証菩提寺(しょうぼだいじ)を創建したと言われています。なお1577年(天正5年)に筒井順慶(つついじゅんけい)が織田信長(おだのぶなが)によって大和守護に任じられて大和一円を委ねられ、1580年(天正8年)の諸城破却令により、筒井順慶の本拠地である大和郡山城(こおりやまじょう)を除き、高田城など大和一円の城は全て破却されたと言われています。なお高田城は片塩小学校(奈良県大和高田市旭北町2-1)東側で、常光寺池一帯に築城されていたと言われています。
大日如来は真言密教(しんごんみっきょう)の教主で、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされています。大日如来は太陽神が起源とされ、宇宙の根元で、諸仏(しょぶつ)・諸菩薩(しょぼさつ)の本地とされています。なお大日如来は平安時代前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が密教とともに中国・唐から日本に伝えました。大日如来は日本の密教において最高仏として位置付けられ、大日信仰が成立しました。大日如来は曼荼羅(まんだら)で主座を占め、智を示す金剛界(こんごうかい)曼荼羅で智拳印(ちけんいん)、理を示す胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅で法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいます。なお大日如来は神仏習合(しんぶつしゅうごう)では太陽神の性格を持つ天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一視されることもあります。
●不動院本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)一間(いっけん)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
不動院

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