富貴寺本堂・富貴寺見どころ(修学旅行・観光)

富貴寺本堂

●富貴寺本堂は1954年(昭和29年)3月20日に国の重要文化財に指定されました。
●富貴寺本堂は南北朝時代(室町時代前期)の1388年(元中5年・嘉慶2年)に建立されました。内陣柱に書かれた江戸時代前期の1679年(延宝7年)の墨書によると1388年(元中5年・嘉慶2年)に建立されたことが記され、建築の形式から南北朝時代(室町時代前期)に建立されたことに矛盾がないと言われています。また墨書によるとかつて本堂は平安時代末期の1178年(治承2年)に建立され、修理に伴う発掘調査で平安時代末期と見られる基壇が検出されました。本堂は本尊に木造釈迦如来(しゃかにょらい)坐像(重要文化財)、脇侍に木造地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像2躯(重要文化財・重要美術品)が安置されています。
お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世で六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折(ようせつ)した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原で石の塔婆を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。なお地蔵菩薩は頭を丸め、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。
●富貴寺本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)一間(いっけん)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
富貴寺

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