福智院本堂・福智院見どころ(修学旅行・観光)

福智院本堂

●福智院本堂は1947年(昭和22年)2月26日に国の重要文化財に指定されました。
●福智院本堂は鎌倉時代前期の1203年(建仁3年)に建立しました。本堂は木造地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像(重要文化財)を本尊として安置されています。ちなみに福智院は736年(天平8年)に玄昉(げんぼう)が第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の発願によって創建した平城清水寺が起源です。その後荒廃し、1254年(建長6年)に興福寺(こうふくじ)の塔頭(たちゅう)・大乗院(だいじょういん)の慈信僧正が福智院地蔵堂として再興し、南都(奈良)の代表的な地蔵像として信仰を集めました。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
木造地蔵菩薩坐像は胎内銘によると鎌倉時代前期の1203年(建仁3年)に発願され、1254年(建長6年)に開眼供養が行われました。木造地蔵菩薩坐像は像高約2.7メートルだが、台座・光背(こうはい)を含めると総高約6.7メートルにも及びます。木造地蔵菩薩坐像は安坐(あんざ)し、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持っています。なお台座は蓮華座(れんげざ)ではなく、奈良時代以前の裳懸座(もかけざ)で、光背に560体の地蔵菩薩の小像が表されています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(地獄道(じごくどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・修羅道(しゅらどう)・人道(にんげんどう)・天道(てんどう))に苦しむ衆生を教化救済するとされています。また地蔵菩薩は日本で「子供の守り神」とされ、小児の成長を守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。地蔵菩薩は「地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。
●福智院本堂は桁行一間・梁間一間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は一見二階建てのように見えるが、一重裳階(もこし)付きです。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
福智院

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