不退寺多宝塔・不退寺見どころ(修学旅行・観光)

不退寺多宝塔(塔婆)

●不退寺多宝塔(塔婆)は1908年(明治41年)4月23日に国の重要文化財に指定されました。
●不退寺多宝塔(塔婆)は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。現在初層のみで、上層と相輪(そうりん)が失われているが、「不退寺伽藍図(がらんず)」・「大和名所図会(やまとめいしょずえ)」によると二層構造(2階建て)の檜皮葺(ひわだぶき)だったと言われています。江戸時代後期の寛政年間(1789年~1801年)に上層があったが、明治時代初期に上層が取り払われました。また1934年(昭和9年)の解体修理時に発見された飛檐垂木(ひえんだるき)の墨書によると仏師・安浪(快慶(かいけい))作の千体地蔵(せんたいじぞう)が安置されていたとも言われています。多宝塔には真言八祖(しんごんはっそ)が彩色されているが、剥落が激しい状態です。なお不退寺では例年5月28日に業平忌が行われ、多宝塔が開扉されています。
一般的に多宝塔は日本で上層を円形、下層を方形とした二重塔を言います。多宝塔は平安時代に密教が天台宗(てんだいしゅう)の開祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)や真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)によって伝えられ、多宝塔も建立されるようになったとも言われています。多宝塔は元々東方の宝浄国(ほうじょうこく)の教主・多宝如来(たほうにょらい)を安置する堂塔です。多宝塔はお釈迦様が大乗仏教の経典「法華経(ほけきょう)」を説いた際、空中に七宝(しちほう)の塔が現われ、塔中の多宝如来がお釈迦様(釈迦如来(しゃかにょらい))に讚嘆(さんたん)して半座(はんざ)を空け、二如来が並座したと言われることに由来しています。
千体地蔵は多数の地蔵菩薩を並べたもので、千躰地蔵などとも記されます。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世で六道に苦しむ衆生を教化救済するとされています。
真言八祖は真言宗で崇拝される八人の祖師で、付法の八祖・伝持の八祖があります。付法の八祖は大日如来・金剛薩た・龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・恵果阿闍梨・弘法大師です。伝持の八祖は龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・善無畏三蔵・一行禅師・恵果阿闍梨・弘法大師です。
●不退寺多宝塔(塔婆)は桁行三間・梁間三間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
不退寺

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