元興寺東門・元興寺見どころ

元興寺東門

●元興寺東門は1952年(昭和27年)3月29日に国の重要文化財に指定されました。
●元興寺東門は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に東大寺(とうだいじ)の塔頭(たちゅう)・西南院の門として建立され、室町時代前期の応永年間(1394年~1427年)に元興寺に移されたと言われています。鎌倉時代の1244年(寛元2年)に興福寺(こうふくじ)の塔頭・大乗院(だいじょういん)による復興事業の一環として、東室南階大房が本堂(極楽堂)と禅室に大改造され、東向きの寺院に改められたことから東門が元興寺の正門になっています。
西南院は東大寺の塔頭として建立され、現在の依水園(いすいえん)あたりにあったとも言われています。ちなみに依水園は江戸時代中期の1673年(寛文12年)に前園が晒職人・清須美道清(きよすみどうせい)が作庭し、依水園には西南院の礎石とも言われる石が残されています。なお西南院跡では発掘調査が行われ、2011年(平成23年)に奈良県立橿原考古学研究所によって報告書が出版されています。
東大寺は奈良時代前期の728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提を追修する為、初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾寺(こんしゅじ・金鍾山寺)が起源と言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生したが、728年(神亀5年)9月13日に亡くなり、同年11月に金鍾山寺が建立されました。その後741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、寺号を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。
●元興寺東門は四脚門で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
元興寺見どころ

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