元興寺本堂・元興寺見どころ

元興寺本堂

●元興寺本堂は1901年(明治34年)3月27日に国の重要文化財、1955年(昭和30年)2月2日に国宝に指定されました。
●元興寺本堂は禅室とともに元々奈良時代に建立された僧坊(僧侶の宿舎)で、往生人智光法師・礼光法師の禅室(僧侶の居室)だったが、鎌倉時代の1244年(寛元2年)に僧坊の東側三房(室)分が本堂、西側四房(室)分が禅室に改築されました。元興寺本堂は内陣の角柱や天井板に奈良時代の部材が使われています。なお元興寺本堂は百日念仏講衆が念仏講を行った往生極楽院として極楽堂、往生人智光法師感得の浄土曼荼羅を祀ったことから曼荼羅堂とも言われました。元興寺本堂は南都における浄土教発祥の聖地とも言われています。
浄土教は阿弥陀仏(阿弥陀如来)を信じ、念仏を唱えて極楽浄土に往生することを説いています。浄土教は紀元100年頃にインドで大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」・大乗仏教の経典「阿弥陀経(あみだきょう)」が編纂されたのが始まりと言われています。日本では飛鳥時代(7世紀前半)に浄土教(浄土思想)が中国から伝えられ、阿弥陀仏が盛んに造仏されるようになり、奈良時代に往生人智光法師・礼光法師が浄土教を信奉しました。
曼荼羅は仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して図示し、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表したものです。曼荼羅には胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)・金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら・大悲胎蔵曼荼羅)・両界曼荼羅(りょうかいまんだら)などがあります。
一般的に僧坊は寺院で僧侶が止住し、起居する堂塔です。古代の寺院では講堂を取り囲むように東室(ひがしむろ)・北室(きたむろ)・西室(にしむろ)の3棟の僧坊が建立され、三面僧坊(さんめんそうぼう)と言われました。なお僧坊は金堂・塔・講堂・鐘楼・経蔵・食堂とともに七堂伽藍に数えられました。
●元興寺本堂は桁行六間・梁間六間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。元興寺本堂は正面一間に通り庇付です。元興寺本堂は屋根に飛鳥時代から奈良時代の古瓦が一部使用されています。古瓦は上部が細く、下部が広い形状で、古瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)とも言うそうです。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
行基は飛鳥時代後期の668年(天智天皇7年)に高志才智(こしのさいち)と蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)の長子として河内国大鳥郡で生まれました。682年(天武11年)15歳で大官大寺(だいかんだいじ・大安寺(だいあんじ))で出家し、法相宗(ほっそうしゅう)初伝の道昭(どうしょう)や法相宗の祖・義淵(ぎえん)らに法相宗を学び、民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を創建するだけでなく、困窮者の為に布施屋(ふせや)の設立などの社会事業も行いました。行基は740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺(すがわらでら・喜光寺(きこうじ))で81歳でなくなりました。なお行基は738年(天平10年)に朝廷から行基大徳の称号が授与され、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。
元興寺見どころ

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