元興寺小子坊・元興寺見どころ(修学旅行・観光)

元興寺小子坊

●元興寺小子坊は奈良県指定文化財です。
●元興寺小子坊はかつて禅室の北側に東室南階小子房(僧坊の沙弥寮)として建立されました。その後一部が改築され、北厨房または台所と称されました。江戸時代前期の1663年(寛永3年)に極楽院庫裏(くり)に改築され、1949年(昭和24年)に本堂の南側に移されて増築され、極楽院保育所の建物になりました。1960年(昭和35年)に現在の場所に移されて復旧されました。なお元興寺小子坊には土間に北向き不動尊が安置され、不動明王の縁日である毎月28日に不動尊護摩供養が行われています。
不動明王は密教の根本尊である大日如来(だいにちにょらい)の化身とされ、五大明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))の中心となる明王です。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王はヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が起源とされ、平安時代初期の804年(延暦23年)に遣唐使として唐に渡った真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が806年(大同元年)に密教とともに唐から不動明王の図像を持ち帰ったと言われています。
一般的に庫裏(庫裡・庫院)は寺院の僧侶の居住する場所や食事を調える場所です。庫裏は禅宗寺院で、仏像を安置して礼拝する仏殿・三解脱門(さんげだつもん)である三門(山門)・仏道修行に励む僧堂・僧侶が仏教を講義する法堂(はっとう)・浴場である浴室・トイレである東司(とうす)とともに七堂伽藍に数えられました。庫裏は大規模な寺院では独立した建物として建立されるが、一般的な寺院では寺の事務を扱う寺務所と兼用となっていることが多くなっています。
一般的に僧坊は寺院で僧侶が止住し、起居する堂塔です。古代の寺院では講堂を取り囲むように東室(ひがしむろ)・北室(きたむろ)・西室(にしむろ)の3棟の僧坊が建立され、三面僧坊(さんめんそうぼう)と言われました。なお僧坊は金堂・塔・講堂・鐘楼・経蔵・食堂とともに七堂伽藍に数えられました。
●元興寺小子坊は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
元興寺見どころ

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