元興寺塔跡・元興寺見どころ(修学旅行・観光)

元興寺塔跡

●元興寺塔跡は奈良県奈良市芝新屋町にあります。元興寺はかつて南都七大寺に数えられる大寺だったが、室町時代中期の1451年(宝徳3年)の土一揆による大火で堂宇の多くが焼失し、元興寺では極楽坊・五重塔だけが残りました。その後中院町の極楽院・西新屋町の小塔院跡・芝新屋町の観音堂と東塔院に分かれ、塔跡は観音堂と東塔院のことです。東塔院には江戸時代後期まで興福寺の五重塔をしのぐ、高さ約50メートル(24丈)の五重塔が建立されていたが、江戸時代末期の1859年(安政6年)の火災で焼失し、現在基壇と礎石が残されています。1927年(昭和2年)の発掘調査により、金延板・金塊・勾玉・瑠璃玉・捻玉・水晶玉・和同開珎・万年通宝・神功開宝や建立時に収められた鎮壇具などが出土しました。なお観音堂には本尊・十一面観音を安置しています。
一般的に五重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、7世紀後半の飛鳥時代に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔が日本最古の五重塔です。なお五重塔は外観が基壇・塔身・相輪(そうりん)からなり、五重の屋根が下から地(基礎)・水(塔身)・火(笠)・風(請花(うけばな))・空(宝珠(ほうじゅ))を表し、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
一般的に観音堂は観音菩薩を祀る仏塔です。観音堂は観音菩薩がインド南端の海岸にある補陀落山(ふだらくせん)に降りたったとされることから海岸や山の懸崖の上などに多くが建立されています。
十一面観音は頭部に11の顔を持つ菩薩です。顔は頭上の正面側3面が柔和相(にゅうわそう)、左側3面が憤怒相(ふんどそう)、右側3面が白牙上出相(くがじょうしつそう)、背面1面が大笑相(だいしょうそう・暴悪大笑面)、頭頂が仏相を表しています。十一面観音は現世で10種類の利益(十種勝利)、来世で4種類の果報(四種功徳)をもたらすと言われています。十一面観音は観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つで、千手観音(せんじゅかんのん)・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)とともに六観音に数えられています。ちなみに観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
元興寺見どころ

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