金峯山寺半夏生・大般若経転読2025年7月2日(日程時間・・・)

金峯山寺半夏生・大般若経転読(日程時間・アクセス・概要・・・)

金峯山寺半夏生・大般若経転読(日程・・・)を紹介しています。半夏生・大般若経転読は例年7月2日に行われています。半夏生・大般若経転読では蔵王堂で大乗仏教の基礎的教義・大般若経六百巻を転読し、一年の残りの家内安全・身体健全を祈願します。なお半夏生は雑節のひとつで、かつては夏至から数えて11日目とされました。(詳細下記参照)

【金峯山寺半夏生・大般若経転読2025 日程時間(要確認)】
金峯山寺半夏生・大般若経転読2025は2025年(令和7年)7月2日(水曜日)11:00~12:00頃に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・金峯山寺ホームページ

【金峯山寺半夏生・大般若経転読 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
最寄り駅・バス停・・・吉野山駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄吉野線・吉野駅から吉野ロープウェイ

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【金峯山寺半夏生・大般若経転読 歴史・簡単概要】
金峯山寺半夏生・大般若経転読(はんげしょう・だいはんにゃきょうてんどく)では蔵王堂で大乗仏教の基礎的教義・大般若経六百巻を転読し、一年の残りの家内安全・身体健全を祈願します。
半夏生は雑節のひとつです。半夏生はかつては夏至から数えて11日目とされました。現在半夏生は7月2日頃とされています。ちなみに半夏生は田植えの終期とも、ドクダミ科の多年草である半夏(カタシログサ)が生える頃ともされています。
大般若経の転読は古くから行われ、第42代・文武天皇の時代である703年(大宝3年)に行われたことが続日本紀(しょくにほんぎ)に記されているそうです。なお大般若の転読では大般若経600巻を僧侶が転読という速読法を使い、短時間に読み上げます。転読では経巻を傾けながらぱらぱらと落とし、経題など大声で読み上げます。ちなみに転読によって起こる梵風(ぼんぷう)は一切の災いを除くとも言われています。
大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。ただ大般若経のサンスクリット本は発見されていないそうです。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。大般若経は最高の真理である般若(はんにゃ)から見ると全てのものは実体がない空(くう)だと説いているそうです。(諸法皆空の理)なお大般若経には魔をも折伏させる功力があるとも言われています。
●金峯山寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
金峯山寺歴史
●金峯山寺の見どころ(本堂・仁王門など)を紹介しています。
金峯山寺見どころ

【金峯山寺 歴史・簡単概要】
金峯山寺(きんぷせんじ)は起源が明確ではありません。金峯山寺は白鳳年間(7世紀後半)に大峰山寺(おおみねさんじ)とともに修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が金峯山での修行中に感得した蔵王権現を自ら刻んで開祖したとも言われています。金峯山寺と大峰山寺は元来金峯山寺として蔵王権現像を祀り、金峯山寺は吉野山、大峰山寺が大峯山系(大峰山脈)の山上ヶ岳(約1,719.2メートル)の山頂にあることから金峯山寺の本堂は山下(さんげ)の蔵王堂、大峰山寺の本堂は山上の蔵王堂と言われていました。金峯山寺は大峰山寺と約20キロほど離れているそうです。ちなみに大峰山寺と金峯山寺に分かれるのは近代以降のことだそうです。明治維新後に修験道が禁止され、一時期廃寺になったが、1886年(明治19年)に天台宗の寺院として復興し、1948年(昭和23年)には金峯山修験本宗を立宗し、総本山になりました。なお金峯山寺は2004年(平成16年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)のひとつに登録されました。
金峯山寺は金峰山修験本宗の総本山です。
*参考・・・金峯山寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【金峯山寺半夏生・大般若経転読 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金峯山寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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