般若寺十三重塔・般若寺見どころ(修学旅行・観光)

般若寺十三重塔

●般若寺十三重塔は1902年(明治35年)4月17日に国の重要文化財に指定されました。
●般若寺十三重塔は鎌倉時代前期の1253年(建長5年)に建立されました。十三重塔はかつて奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が創建し、現在の十三重塔は観良房良恵上人が勧進し、南宋(中国)から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ)とその息子・伊行吉(いぎょうきち)らによって建立されました。十三重塔は高さ約12.6メートルで、顕教(けんぎょう)四方仏が彫られています。1964年(昭和39年)に解体修理が行われ、第45代・聖武天皇ゆかりの金銅製阿弥陀如来(あみだにょらい)立像が発見されました。なお塔内納入宝物には金銅舎利塔1基・金銅五輪塔1基・水晶五輪塔4基・宋版細字法華経・銅造如来立像1躯・木造大日如来坐像1躯・銅造十一面観音立像1躯・木造地蔵菩薩立像1躯・赤地蓮池水禽文錦打敷1枚・法華経開結共10巻・梵網経 2巻などがあり、特別公開されています。(要確認)
十三重塔は仏塔です。仏塔の形式では三重塔・五重塔が代表的だが、七重塔・九重塔・十三重塔などもあり、層の数はほぼ奇数に限定されています。
観良房良恵上人は十三重塔建立を発願した大善巧人が亡くなると鎌倉時代前期の1230年(寛喜2年)頃にその遺志を受け継いだとも言われ、約23年後の1253年(建長5年)に完成させました。その後般若寺を復興させ、真言律宗(しんごんりっしゅう)総本山・西大寺(さいだいじ)の末寺とさせると真言律宗の祖・叡尊(えいそん)の弟子になりました。なお観良房良恵上人は東大寺の俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が率いた遁世僧(とんせいそう)の一人とも言われています。遁世僧は官僧に対し、その世界から離脱して仏道修行に努めました。
第45代・聖武天皇は飛鳥時代後期の701年(大宝元年)に第42代・文武天皇(もんむてんのう)と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子として生まれました。奈良時代初期の714年(和銅7年)に元服して立太子され、病弱であったことから第42代・文武天皇の姉である第44代・元正天皇(げんしょうてんのう)が即位しました。724年(神亀元年)に第44代・元正天皇から譲位されて24歳で第45代・聖武天皇に即位しました。その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ・光明子(こうみょうし))を非皇族初の皇后(光明皇后)にしました。737年(天平9年)に天然痘(てんねんとう)が流行し、740年(天平12年)に藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)が起こると突然関東(伊勢国・美濃国)への行幸を始め、その後約10年間に目まぐるしく遷都(平城京(へいじょうきょう)・恭仁京(くにきょう)・難波京(なにわきょう)・紫香楽京(しがらききょう)・平城京)を行いました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に国分寺建立の詔 (こくぶんじこんりゅうのみことのり)、743年(天平15年)に大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発しました。749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、752年(天平勝宝4年)、に東大寺大仏の開眼法要を行いました。なお第45代・聖武天皇は756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。
般若寺

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