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般若寺楼門・般若寺見どころ(修学旅行・観光)
般若寺楼門
●般若寺楼門は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
●般若寺楼門は鎌倉時代前期の文永年間(1264年~1275年)頃に建立されました。般若寺は寺伝によると飛鳥時代前期の629年(舒明天皇元年)に三論宗(さんろんしゅう)の祖で、高句麗(こうくり)の僧・慧灌法師(えかんほうし)が創建し、735年(天平7年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が十三重石塔を建立して自筆の「大般若経(だいはんにゃきょう)」を安置したと言われています。その後平安時代後期の1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちにより、東大寺などとともに焼失して廃寺同然になったが、鎌倉時代に真言律宗(しんごんりっしゅう)の宗祖・興正菩薩(こうしょうぼさつ)叡尊(えいそん)と観良房良恵(かんりょうぼうりょうえ)が七堂伽藍を再建したと言われています。楼門はかつて廻廊の西門であったが、戦国時代の兵火によって正門である南大門が失われ、京街道に面した西門(楼門)が消失を免れました。
楼門は寺社の入口にある二階建て(重層)の門です。楼門は下層に屋根のないものを言い、下層に屋根があるものを二重門と言います。
●般若寺楼門は一間一戸(いっけんいっこ)楼門で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。楼門は和様(わよう)に天竺様(てんじくよう・大仏様(だいぶつよう))が取り入れられ、美しく軽快な屋根の反りになっています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
和様は鎌倉時代に中国・宋から伝わった(大仏様・禅宗様)に対して、それ以前に日本の寺院建築に用いられてきた建築様式です。ただ和様のもとになった建築様式も仏教などとともに中国から伝わっています。和様は飛鳥時代・奈良時代に中国から伝えられ、平安時代に日本で発展しました。
大仏様は鎌倉時代初期に俊乗房重源が東大寺の大仏殿を再建する際に中国・宋(南宋)から取り入れた建築様式です。大仏様は柱に肘木をさし込む指肘木(さしひじき)、天井を張らない化粧屋根(けしょうやね)、用木に彩色を施すのが特徴です。
般若寺