長谷寺愛染堂・長谷寺見どころ

長谷寺愛染堂

●長谷寺愛染堂は安土桃山時代の1588年(天正16年)に観海上人(かんかいしょうにん)が再建したと言われています。長谷寺愛染堂は上登廊(重要文化財)を最後まで登りきった正面奥に建立されています。長谷寺愛染堂には内陣に愛染明王(あいぜんみょうおう)像が安置されています。
愛染明王は大愛欲大貪染の三昧に住む明王で、真言密教(しんどんみっきょう)の教主・大日如来(だいにちにょらい)または菩薩の一尊・金剛愛菩薩(こんごうあいぼさつ)を本地とし、大日如来・金剛愛菩薩が仮の姿で現れる仮現(けげん)と言われています。愛染明王は平安時代初期に日本に伝わったとも言われ、その後恋愛成就・美貌を願って信仰されるようになりました。愛染明王は愛欲などの迷いが悟りにつながることを示し、外見が悪を降伏し、威圧する忿怒相(ふんぬそう)だが、内面は愛をもって衆生(しゅじょう)を解脱させます。愛染明王は尊容が一面三目六臂(ろっぴ)の忿怒相(ふんぬそう)で、獅子冠(ししかむり)を被り、手に金剛鈴(こんごうれい)・金剛弓(こんごうきゅう)・拳(けん)・五鈷杵(ごこしょ)・金剛箭(こんごうせんい)・蓮華(れんげ)を持ち、蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ)しています。愛染明王は身色が真紅で表現されます。
上登廊は下登廊・繋屋・中登廊・蔵王堂とともに仁王門から本堂(国宝)を繋いでいます。上登廊などの登廊は平安時代後期の1039(長歴3年)に奈良・春日大社(かすがたいしゃ)の社司・正預中臣信清(しょうのあずかりなかとみののぶきよ)が子供の病気平癒のお礼に建立したが、その後近世以降に再建されました。ただ下登廊・繋屋・中登廊は1882年(明治15年)に焼失し、1894年(明治27年)に再建されました。
●長谷寺愛染堂は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
長谷寺見どころ

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