長谷寺本坊・長谷寺見どころ(修学旅行)

長谷寺本坊

●長谷寺本坊は2014年(平成26年)12月10日に国の重要文化財に指定されました。
●長谷寺本坊は大正時代に再建されました。大正時代の再建では文化財の保存・修理に携わっていた奈良県技師である天沼俊一(あまぬましゅんいち)・阪谷良之進(さかたにりょうのしん)・岸熊吉(きしくまきち)が派遣され、設計と工事監督を担当しました。長谷寺本坊はかつて安土桃山時代の1588年(天正16年)に建立され、その後江戸時代前期の1667年(寛文7年)に徳川将軍家の寄進で建立されたが、1911年(明治44年)に焼失しました。
天沼俊一は1876年(明治9年)に東京で生まれました。1902年(明治35年)に東京帝国大学・工科大学建築学科を卒業して大学院に進みました。1906年(明治39年)に奈良古社寺修理技師になり、1918年(大正7年)に京都府古社寺修理監督技師になりました。その後1920年(大正9年)に京都帝国大学工学部の助教授になり、1923年(大正12年)に教授になり、1936年(昭和11年)に退官しました。天沼俊一は各地の古建築を実地調査し、日本建築史研究の発展に寄与しました。また大坂城天守閣の意匠にも参加しました。
阪谷良之進は1883年(明治16年)に東京で生まれました。1907年(明治40年)に東京美術学校・図案科建築部を卒業し、その後内務省・文部省の嘱託として古社寺保存計画調査を行いました。1921年(大正10年)に京都帝国大学工学部の講師になり、1929年(昭和4年)に国宝保存会幹事・文部省文部技師になり、1940年(昭和15年)に退官しました。阪谷良之進は国宝建造物の補修・調査に寄与しました。
岸熊吉は1882年(明治15年)に福井で生まれました。1898年(明治31年)に東京美術学校・図案科を卒業し、内務省宗教局国宝調査室に入り、国宝建造物実測図のトレースを行いました。1899年(明治32年)に京都府社寺建造物修理技手を嘱託され、1921年(大正10年)に奈良県技師になりました。岸熊吉は退官まで奈良県内の国宝建造物約50棟の修理に関与しました。
●長谷寺本坊は大講堂・大玄関及び庫裏・奥書院・小書院・護摩堂・唐門及び回廊・中雀門・土蔵から構成されています。
大講堂は1919年(大正8年)に天沼俊一の設計によって建立されました。大講堂は建築面積約590.05平方メートルで、木造の本瓦葺です。
大玄関・庫裏は1923年(大正12年)に岸熊吉の設計によって建立されました。大玄関・庫裏は建築面積約529.66平方メートルで、木造の本瓦葺です。大玄関は北面が唐破風造です。
奥書院は1920年(大正9年)に阪谷良之進の設計によって建立されました。奥書院は建築面積約217.25平方メートルで、木造の桟瓦葺です。
小書院は1923年(大正12年)に阪谷良之進の設計によって建立されました。小書院は建築面積約173.44平方メートルで、木造の桟瓦葺です。
護摩堂は1923年(大正12年)に岸熊吉の設計によって建立されました。護摩堂は建築面積約47.73平方メートルで、木造の本瓦葺です。
唐門・回廊は1924年(大正13年)に岸熊吉の設計によって建立されました。唐門・回廊は建築面積約40.86平方メートルで、木造の檜皮葺です。唐門は西面軒に唐破風があります。
中雀門は江戸時代中期の1766年(明和3年)に建立されました。中雀門は一間薬医門で、切妻造の本瓦葺です。
土蔵は明治時代(19世紀中頃)に建立されました。土蔵は建築面積約37.65メートルの二階建で、土蔵造の桟瓦葺です。
長谷寺見どころ

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