長谷寺仁王門・長谷寺見どころ(修学旅行・観光)

長谷寺仁王門

●長谷寺仁王門は1986年(昭和61年)12月20日に国の重要文化財に指定されました。
●長谷寺仁王門は1894年(明治27年)に仁王門が再建されました。長谷寺仁王門は平安時代中期の第66代・一条天皇の時代(986年(寛和2年)~1011年(寛弘8年))頃に建立されたが、その後度々焼失し、1894年(明治27年)に再建されました。長谷寺仁王門は2015年(平成27年)11月から保存修理が行われ、2017年(平成29年)3月に完了し、同年4月に法要が行われました。保存修理では屋根下地に張る野地(のじ)・軒回り(のきまわり)が補修され、傷んだ瓦を外して葺き替えられました。長谷寺仁王門は両脇に仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置しています。
一般的に仁王門は仏教・寺院を守護し、仁王(におう・二王)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉(やしゃ)を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門(とうもん)に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯(らんじゅん)の一部が発見されました。塔門と欄楯の浮彫は紀元前1世紀初期に施され、浮彫には仏教説話図の最古の仏伝図・本生図(ジャータカ)・守護神像・聖地図などがあります。なお日本では奈良時代(710年~794年)に仁王門の建立が盛んになり、飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士は仏教において天界に住む天部(てんぶ)で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)・難陀龍王(なんだりゅうおう)・摩ご羅(まごら)・緊那羅(きんなら)・迦楼羅(かるら)・乾闥婆(けんだつば)・毘舎闍(びしゃじゃ)・散支大将(さんしたいしょう)・満善車鉢(まんぜんしゃはつ)・摩尼跋陀羅(まにばだら)・毘沙門天(びしゃもんてん)・提頭頼た王(だいずらたおう)・婆藪仙(ばすせん)・大弁功徳天(だいべんくどくてん)・帝釈天王(たいしゃくてんおう)・大梵天王(だいぼんてんおう)・毘楼勒叉(びるろくしゃ)・毘楼博叉(びるばくしゃ)・薩遮摩和羅(さしゃまわら)・五部浄居(ごぶじょうご)・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)・神母女(じんもにょ)・金毘羅(こんぴら)・畢婆伽羅(ひばから)・阿修羅(あしゅら)・伊鉢羅(いはつら)・娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)という二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)などがあります。なお二十八部衆は千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)とされています。
●長谷寺仁王門は高さ12.4メートルの三間一戸楼門で、入母屋造の本瓦葺です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
長谷寺見どころ

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