長谷寺登廊・長谷寺見どころ(修学旅行・観光)

長谷寺登廊

●長谷寺登廊は1986年(昭和61年)12月20日に国の重要文化財に指定されました。
●長谷寺登廊は仁王門から本堂を繋ぎ、仁王門側から下登廊・繋屋・中登廊・蔵王堂・上登廊の順に連なっています。登廊は江戸時代前期の1650年(慶安3年)に再建されました。しかし下登廊・繋屋・中登廊は1882年(明治15年)に焼失し、1894年(明治27年)に再建されました。
上登廊は1650年(慶安3年)に再建されました。上登廊は桁行十八間・梁間一間で、両下造(りょうさげづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
蔵王堂は1650年(慶安3年)に再建されました。蔵王堂は桁行三間・梁間一間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺です。
中登廊は1894年(明治27年)に再建されました。中登廊は桁行十六間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
繋屋は1894年(明治27年)に再建されました。繋屋は桁行一間・梁間一間で、切妻造の桟瓦葺(さんがわらふき)です。
下登廊は1894年(明治27年)に再建されました。下登廊は桁行四十一間・梁間一間で、切妻造の本瓦葺です。南端は唐破風造(からはふづくり)です。
両下造は切妻造の一種で、棟の両端が他の建物へ繋がり、破風がないものです。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
唐破風は中央部が弓形で、左右両端が反りかえった曲線状の破風です。唐破風には屋根本体の軒先を丸みを帯びた形に造形した軒唐破風と屋根本体とは別に出窓の屋根のような形に造形した向唐破風があります。唐破風は門・玄関・神社の向拝の屋根や軒先などに用いられます。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻側の造形です。
●長谷寺登廊はかつて平安時代中期の1039年(長歴3年)に奈良・春日大社(かすがたいしゃ)の社司・中臣信清(なかとみののぶきよ)が子供の病気平癒のお礼に建立しました。
春日大社は社伝によると約1,300年前、710年(和銅3年)に常陸国・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。
長谷寺見どころ

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