新薬師寺初薬師2025/1/8(日程時間・・・)
新薬師寺初薬師
新薬師寺初薬師(日程・・・)を紹介しています。初薬師は例年1月8日に行われています。初薬師は1年最初の薬師如来の縁日に行われます。初薬師は本尊・薬師如来坐像(国宝)に罪を悔い改める薬師悔過の法要が行われます。なお薬師如来は医王如来(いおうにょらい)とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持っています。(詳細下記参照)
【新薬師寺初薬師2025 日程時間(要確認)】
新薬師寺初薬師2025は2025年(令和7年)1月8日(水曜日)15:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・新薬師寺ホームページ
【新薬師寺初薬師 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市高畑町1352
最寄り駅・バス停・・・高畑町(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
路線・時刻表・運賃チェック
【新薬師寺初薬師 歴史・簡単概要】
新薬師寺初薬師(はつやくし)・修正会(しゅしょうえ)は1年最初の薬師如来の縁日に行われます。初薬師は本尊・薬師如来坐像(国宝)に罪を悔い改める薬師悔過(やくしけか)の法要が行われます。
薬師如来坐像は本堂(国宝)に安置されています。薬師如来坐像は平安時代初期に造仏されたと言われています。薬師如来坐像は1975年(昭和50年)の調査の際、平安時代初期の法華経が見つかり、国宝の附(つけたり)になりました。なお薬師如来坐像は像高約191.5センチです。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏とされています。また薬師如来は医王如来(いおうにょらい)とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持っています。ちなみに薬師如来は大医王・医王善逝 (ぜんぜい) とも言われています。なお薬師如来への信仰は680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。
修正会は寺院で毎年正月(1月)に数日間(基本的に7日間)行われる悔過 (けか)の法会です。修正会は修正月会とも言われています。修正会では昨年を反省し、新年の国家安泰・皇室の安泰・五穀豊穣などを祈願します。ちなみに修正会は中国の年始の儀式が起源とも言われています。日本では759年(天平宝字3年)以前から官立の大寺院などで悔過会(けかえ)が行われ、その後767年(神護景雲元年)からは国分寺で吉祥天悔過会(きっしょうてんけか)が行われるようになり、新春の法会として広まったとも言われています。
●新薬師寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
新薬師寺歴史
●新薬師寺の見どころ(本堂・十二神将立像など)を紹介しています。
新薬師寺見どころ
【新薬師寺 歴史・簡単概要】
新薬師寺(しんやくしじ)は寺伝によると747年(天平19年)第45代・聖武天皇の妻・光明皇后が夫・聖武天皇の病気平癒の為、七仏薬師像を造仏して創建したと言われています。聖武天皇は743年(天平15年)に大仏造立の詔を発し、紫香楽宮(滋賀甲賀市信楽町)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に地震や山火事が頻発し、平城京に戻って東大寺(とうだいじ)で大仏の造立を再開したが、聖武天皇は体調を崩したと言われています。聖武天皇の病気平癒の為、畿内の寺院では薬師悔過法要(やくしけかほうよう)が命じられ、諸国に薬師仏像の造仏も命じられたと言われています。ちなみに新薬師寺は香薬寺・香山薬師寺とも言われていたそうです。その後780年(宝亀11年)の落雷によって伽藍の一部が焼失したり、962年(応和2年)の台風によって伽藍の一部が倒壊したりして衰退したと言われています。しかし鎌倉時代に華厳宗中興の祖・明恵が一時入寺して復興し、現在の伽藍の多くが再建されたと言われています。
新薬師寺は華厳宗の寺院です。
*参考・・・奈良・新薬師寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ・奈良・新薬師寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【新薬師寺初薬師 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良・新薬師寺(アクセス・見どころ・・・)情報