法華寺護摩堂・法華寺見どころ(修学旅行・観光)

法華寺護摩堂

●法華寺護摩堂は2004年(平成16年)に池泉上に再建されました。ちなみに護摩堂は室町時代に倒壊したと言われています。護摩堂では不動明王(ふどうみょうおう)の縁日である毎月28日に護摩法要が行われています。護摩法要は奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の皇后・光明皇后(こうみょうこうごう)が万民の病苦災厄を取り除き、万人豊楽を願って、「法華経(ほけきょう)」を読誦されたのが起源とも言われています。ちなみに戦前には全国社寺の中で唯一、法華寺の護摩法要で祈願したお札が皇居に献納されていました。
光明皇后は701年(大宝元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)と県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)の三女・安宿媛(あすかべひめ)として生まれました。その後皇太子であった第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と結婚し、非皇族初の皇后(第45代・聖武天皇の妻)になりました。718年(養老2年)に第46代・孝謙天皇(こうけんてんのう)と第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)となる阿倍内親王(あべないしんのう)を産み、724年(神亀元年)の第45代・聖武天皇の即位とともに後宮(こうきゅう)の位階・夫人号を賜りました。727年(神亀4年)11月16日に皇太子・基王(基皇子(もといのみこ))を産んだが、728年(神亀5年)10月20日に亡くなりました。長屋王(ながやおう)の変後の729年(天平元年)8月10日に皇后の詔が発せられました。749年(天平勝宝元年)に夫で、第45代・聖武天皇が娘・阿倍内親王(第46代・孝謙天皇)に譲位し、756年(天平勝宝8年)5月2日に第45代・聖武天皇が崩御しました。光明皇后は第45代・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、第45代・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院(せやくいん)や貧窮者・孤児の為の悲田院(ひでいん)などを設置しました。光明皇后にはハンセン病の病人から膿を吸ったところその病人が金剛界五仏の一尊・阿しゅく如来であったという伝承が残されています。なお光明皇后は760年(天平宝字4年)7月27日に亡くなり、佐保山東陵(さほやまのひがしのみささぎ)に葬られました。
「法華経」は大乗仏教経典です。「法華経」は飛鳥時代に仏教とともに日本に伝来したと言われ、その断簡が正倉院に残されています。ちなみに日本最古の正史「日本書紀」によると606年(推古14年)に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が「法華経」を講じたことが記されています。「法華経」は詩や譬喩(ひゆ・比喩)・象徴を主とした文学的な表現で、仏と成ることのできる唯一の教えである一乗(いちじょう)の立場を明らかにし、永遠の仏を説きます。また「法華経」は出家と在家や男性と女性といった区別なく、誰もが平等に成仏できると説いています。
護摩はバラモン教(古代のヒンドゥー教)の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗(てんだいしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
●法華寺護摩堂は桁行三間・梁間二間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。なお宝形造は方形造とも言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
法華寺見どころ

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