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鳳閣寺廟塔・鳳閣寺見どころ(修学旅行・観光)
鳳閣寺廟塔
●鳳閣寺廟塔は1915年(大正4年)3月26日に国の重要文化財に指定されました。
●鳳閣寺廟塔は南北朝時代の1369年(正平24年・応安2年)に薩摩権守行長(さつまごんのかみゆきなが)が鳳閣寺中興である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)の供養塔として建立したと言われています。廟塔は鎌倉時代初期に来日した中国明州出身の石工・伊行末(いぎょうまつ)の末裔が制作したとも言われています。
理源大師・聖宝は832年(天長9年)3月21日に讃岐国(香川県)塩飽諸島(しわくしょとう)の本島(ほんじま)で生まれました。847年(承和14年)に16歳で奈良・東大寺(とうだいじ)に入り、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師・空海の実弟で、東大寺別当(べっとう)・真雅(しんが)に師事して出家しました。その後奈良・元興寺(がんごうじ)の円宗(えんしゅう)・願暁(がんぎょう)から三論宗(さんろんしゅう)、東大寺の平仁(ひょうにん)から法相宗(ほっそうしゅう)、東大寺の玄永(げんえい)に華厳宗(けごんしゅう)など南都諸宗を学びました。872年(貞観13年)に真雅から無量寿法(むりょうじゅほう)を受け、874年(貞観16年)に醍醐寺(だいごじ)を創建しました。880年(元慶4年)に弘法大師・空海の甥で、金剛峯寺(こんごうぶじ)座主・真然(しんぜん)に学んで両部大法(りょうぶたいほう)を受け、884年(元慶8年)に東寺(とうじ)二長者(ちょうじゃ)・源仁(げんにん)に伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を授けられました。887年(仁和3年)に朝廷から正式に伝法灌頂職位を授けられ、895年(寛平7年)に東寺二長者になり、896年(寛平8年)に東寺別当を兼ね、906年(延喜6年)に東寺一長者になりました。907年(延喜7年)に醍醐寺が第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の御願寺(ごがんじ)になりました。理源大師・聖宝は修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り、川を渡って山野で修業し、修験道の基礎を築いたことから「修験道の醍醐寺」とも言われています。役行者が金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)を感得した奈良・金峰山(きんぷせん)でも山岳修業しました。なお理源大師・聖宝は909年(延喜9年)7月25日に亡くなりました。1707年(宝永4年)に理源大師の諡号を賜りました。
●鳳閣寺廟塔は総高約268.0センチの石造宝塔です。廟塔は花崗岩(かこうがん)製で、塔身(とうしん)・受座(うけざ)・亀趺(きふ)・台座(だいざ)から構成されています。塔身は二重垂木や扉部など細部に至るまでこの時期に制作された木製廟塔の特徴を極めて精巧に写しています。
花崗岩は二酸化ケイ素が結晶してできた石英とアルカリ金属やアルカリ土類金属などのアルミノケイ酸塩を主成分とする長石を主成分とする粗粒な火成岩の一種です。花崗岩は黒雲母など有色鉱物が1割ほど含まれているが、全体的に白っぽく見えます。花崗岩は磨き上げると光沢が出て美しいくなり、御影石として石材に使われています。御影石は神戸市の御影が産地として有名であったことに由来しています。
鳳閣寺