法隆寺中門・法隆寺見どころ(修学旅行)

法隆寺中門

●法隆寺中門は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●法隆寺中門は飛鳥時代前期の607年(推古天皇15年)の法隆寺創建時に建立されたが、670年(天智9年)に焼失し、その後飛鳥時代後期(7世紀後半)に再建されたと言われています。2004年(平成16年)の奈良文化財研究所による年輪年代測定により、中門などに使われているヒノキやスギは650年代末から690年代末に伐採されたことが分かりました。また西院伽藍では金堂(国宝)・五重塔(国宝)・中門の順に建立されたことも分かりました。なお法隆寺中門には左右に日本最古の仁王像とも言われている塑造金剛力士立像が安置されています。ただ塑造金剛力士立像は風雨に曝され、補修が多く行われ、吽形(うんぎょう)像は体部が木造になっています。
金剛力士は仏教において天界に住む天部(てんぶ)で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)などの二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)などがあります。なお二十八部衆は千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)とされています。
金剛力士像(仁王像)は像容が上半身裸形で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としています。金剛力士像は二神一対で、口を開いた阿形は怒りの表情を表し、口を閉じた吽形は怒りを内に秘めた表情を表しているものが多くなっています。一般的に正面から見て右側の像(阿形)は左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持ち、一喝するように口を開け、左側の像(吽形)は右手の指を開き、怒気を帯びて口を結んでいます。なお「阿」はインドで使用されるブラーフミー系文字・梵字(ぼんじ)で口を開いて発する最初の音声で、仏教では物事の始まりを表します。「吽」は梵字で口を閉じて発する最後の音声で、仏教では物事の終わりを表します。
塑造は粘土などを使って造形する技法です。塑造は奈良時代前期に唐(中国)から伝来し、奈良時代後期に盛行しました。塑造では心木に藁縄などを巻き付け、粒子の荒い荒土から細かい仕上げ土で造形します。奈良・当麻寺(たいまでら)金堂(重要文化財)に安置されている7世紀末頃作の本尊・塑造弥勒仏坐像(国宝)が日本最古の塑像と言われています。
●法隆寺中門は正面四間二戸・梁間三間の二重門で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。法隆寺中門には柱や上層に金堂と同じ卍崩し(まんじくずし)と人字型の割束(わりづか)を配した高欄(こうらん)があります。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

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