法隆寺旧富貴寺羅漢堂・法隆寺見どころ(修学旅行・観光)

●法隆寺旧富貴寺羅漢堂は1971年(昭和46年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●法隆寺旧富貴寺羅漢堂は平安時代後期(1086年~1184年)に富貴寺(ふきじ)に建立され、荒れ果てていたことから細川護立が一旦引き取り、その後法隆寺に寄進されました。
富貴寺は平安時代前期に法隆寺開基・聖徳太子を尊崇して夢殿を再興し、法隆寺の学問振興に力を注いだ三論宗(さんろんしゅう)の僧・道詮(どうせん)が晩年に創建したと言われています。ちなみに道詮は平安時代初期の797年(延暦16年)に武蔵国で生まれ、法隆寺の寿仁のもとで出家し、東大寺の玄耀に三論教学を学びました。854年(斉衡元年)に大極殿(だいごくでん)で「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」を講ずる最勝会 (さいしょうえ)講師を務め、857年(天安元年)に御前論議座主を務め、864年(貞観6年)に権律師(ごんりっし)に任じられ、その後律師に昇任しました。南北朝時代の1388年(元中5年・嘉慶2年)に本堂(重要文化財)が建立されました。なお富貴寺は真言宗(しんごんしゅう)の壺阪寺(つぼさかでら・南法華寺(みなみほっけじ))の末寺だが、無住になっています。
細川護立は1883年(明治16年)10月21日に細川家第15代当主・細川護久(ほそかわもりひさ)と佐賀藩主・鍋島直正(なべしまなおまさ)の五女・細川宏子の四男として東京府東京市小石川区高田老松町(東京都文京区目白台)に生まれました。1898年(明治29年)に実兄(細川護久の三男)で、分家していた細川護晃(ほそかわもりあき)の養子になって細川男爵家の家督を相続したが、1914年(大正3年)に実兄(細川護久の長男)で、細川護成(ほそかわもりしげ)が亡くなると細川侯爵家の家督を相続し、細川男爵家を廃家にしました。細川護立は美術品を収集し、芸術に造詣が深かったことから戦後に文部省国宝保存会会長・日本美術刀剣保存協会会長・東洋文庫理事長などを歴任しました。なお細川護立は1970年(昭和45年)11月18日に亡くなりました。
●法隆寺旧富貴寺羅漢堂はかつて平安時代に建立された三重塔の初層とも言われています。なお法隆寺旧富貴寺羅漢堂は桁行一間・梁間一間で、宝形造の檜皮葺です。
一般的に三重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、飛鳥時代の684年(天武13年)~706年(慶雲3年)に建立された法起寺(ほうきじ)の三重塔が日本最古の三重塔です。
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