法隆寺食堂・法隆寺見どころ(修学旅行・観光)

法隆寺食堂

●法隆寺食堂は1901年(明治34年)3月27日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
●法隆寺食堂は奈良時代(710年~793年)に建立されました。法隆寺食堂は元々法隆寺の寺務所である政所(まんどころ)であったが、平安時代に僧侶が食事をする食堂に改められました。なお法隆寺食堂には本尊・薬師如来坐像(重要文化財)が安置されています。
一般的に政所は大社寺で、事務・雑務などを行った寺務所です。政所は親王家・摂関家・公卿・幕府などにも置かれました。
一般的に食堂は寺院で僧侶が斎食(さいじき)する為の堂塔です。食堂は古くは身分の低い僧侶が食事をする場所で、平安時代まで寺院の主要な堂塔の一つでした。食堂は多くの僧侶が食事をすることから講堂とほぼ同じ規模があったと言われています。食堂には文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が安置されることが多かったそうです。禅宗寺院では斎堂(さいどう)・僧堂(そうどう)、それ以外では庫裡(くり)に移行しました。法隆寺(ほうりゅうじ)に奈良時代の遺構があり、東大寺(とうだいじ)興福寺(こうふくじ)に遺跡が残されています。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。
●法隆寺食堂は桁行七間・梁間四間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。法隆寺食堂は南側に建立されている細殿(重要文化財)と軒を接していることから双堂とも言われました。ちなみに細殿は鎌倉時代の1268年(文永5年)頃に建立された桁行七間・梁間二間で、切妻造の本瓦葺です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

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