法隆寺新堂・法隆寺見どころ(修学旅行・観光)

法隆寺新堂

●法隆寺新堂は1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財に指定されました。
●法隆寺新堂は鎌倉時代後期の1284年(弘安7年)に建立されました。法隆寺新堂は西院伽藍西南の築地塀で囲まれた一画で、西園院客殿の北側に建立されています。法隆寺新堂には木造阿弥陀如来及び両脇侍像(国の重要文化財)・木造四天王立像(国の重要文化財)が安置されています。
木造阿弥陀如来及び両脇侍像は平安時代後期(11世紀頃)に造仏されました。両脇侍は鎌倉時代後期の1284年(弘安7年)に越前法橋定慶が修理したと言われています。中尊・木造阿弥陀如来像は像高約85.5センチ、左脇侍は像高約104.7センチ、右脇侍は像高約103.0センチです。中尊はサクラ材で造仏され、古風な八角形の裳懸座(もかけざ)に坐しています。
木造四天王立像は平安時代後期(11世紀頃)に造仏されました。持国天は像高約109.3センチ、増長天は像高約109.7センチ、広目天は像高約110.5センチ、多聞天(毘沙門天)は像高約109.2センチです。木造四天王立像はサクラ材で造仏されているが、一部に塑土盛上げが行われています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。
●法隆寺新堂は桁行三間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

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