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宝山寺獅子閣・宝山寺見どころ(修学旅行・観光)
宝山寺獅子閣
●宝山寺獅子閣は1961年(昭和36年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
●宝山寺獅子閣は宝山寺第14世・法禅乗空が洋風客殿の建設を発願したのが起源です。1875年(明治8年)の聖天堂再建の際、越後出身の大工・吉村松太郎(よしむらまつたろう)の腕を見込み、洋風客殿の建設の為に横浜に3年留学させました。その後本堂前に小社・天神社の建立を命じ、その腕を再度見込み、獅子閣建設の棟梁に任じ、宝山寺出入りの大工や法隆寺・生駒・安堵・菜畑などの近隣の大工とともに獅子閣建設にあたり、獅子閣は1882年(明治15年)に上棟し、1884年(明治17年)に落慶しました。獅子閣は吉村松太郎が横浜で学んだ洋風建築の技術に宮大工の技術を盛り込んで建設しました。獅子閣は二階建で、玄関の上部と南側にベランダが設けられ、玄関を入ると板の間の洋室があり、正面から左側には和室もあります。1階から2階に続く階段は螺旋状で、手すりをはじめ柱には細かな装飾が施されています。
吉村松太郎は越後出身の大工です。1875(明治8年)の聖天堂の再建の際に一大工として働いていました。その後腕を見込まれて横浜に3年留学し、本堂前に天神社を建立し、次に獅子閣建設の棟梁になり、獅子閣を建設しました。吉村松太郎は越後から家族を呼び寄せ、この地で一生を終えたと言われています。
一般的に客殿は寺院などで来客と面会したり、接待したりする為に建立された堂塔です。
●宝山寺獅子閣は建築面積約92.1平方メートルの二階建で、寄棟造(よせむねづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。車寄は切妻造(きりづまづくり)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いずもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。
宝山寺