東大寺お水取りと創始者・実忠和尚(じっちゅうかしょう)

東大寺お水取りと実忠和尚

東大寺お水取りと創始者・実忠和尚を紹介しています。実忠和尚は奈良時代中期の752年(天平勝宝4年)に二月堂を創建し、同年2月1日から14日間にお水取りとも言われる修二会を始めたと言われています。実忠和尚は東大寺の財政運営に大きな功績をあげるだけでなく、寺院造営の技術者として傑出していたと言われています。(詳細下記参照)

【東大寺お水取り2024 日程時間(要確認)】
東大寺お水取り2024(●コロナによる実施の有無・変更要確認)は2024年(令和6年)3月1日(金曜日)~14日(木曜日)に行われます。なおお松明は19:00から行われます。ただ12日(火曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。
東大寺お水取り2024日程

【東大寺お水取り 基礎知識】
東大寺お水取り(おみずとり)・修二会(しゅにえ)・お松明(おたいまつ)は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂(国宝)の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
東大寺お水取り2024

【東大寺お水取りと創始者・実忠和尚】
実忠(じっちゅう)・実忠和尚(じっちゅうかしょう)はお水取りの創始者とされています。
実忠は生没年が明確ではありません。実忠は奈良時代前期の726年(神亀3年)に生まれたとも言われています。その後東大寺(とうだいじ)開山で、初代別当(べっとう)・良弁僧正(ろうべんそうじょう)に師事して華厳宗(けごんしゅう)を学び、天平年間(729年~749年)後半)頃から良弁僧正の側近になったと言われています。752年(天平勝宝4年)に二月堂を創建し、同年2月1日から14日間にお水取りとも言われる修二会(しゅにえ)を始めたと言われています。実忠は大阪難波(なにわ)の海中から十一面観音(じゅういちめんかんのん)像を得て、修二会(十一面悔過会(じゅういちめんけかえ))を始めたと言われています。また「二月堂縁起絵巻(にがつどうえんぎえまき)・1545年(天文14年)」によると751年(天平勝宝3年)に実忠が笠置山(かさぎやま・笠置寺(かさぎでら))で修行中に竜穴(りゅうけつ・龍穴)を発見してその中に入ると天人の住む天界(兜率天(とそつてん))に至り、常念観音院(じょうねんかんのんいん)で天人が十一面悔過を勤修(ごんしゅ)するのを見て、行法を伝授されて修二会(十一面悔過)を始めたと言われています。良弁僧正のもとで東大寺少鎮(しょうちん)として東大寺の造営に尽力するだけでなく、西大寺(さいだいじ)や西隆寺(さいりゅうじ)の創建に参画したと言われています。760年(天平宝字4年)に東大寺目代(もくだい)になり、763年(天平宝字7年)から771年(宝亀2年)に高さ11丈の大仏(銅造盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像)の光背(こうはい)を造り、大仏殿の天井を1丈上に上げて光背を立てたと言われています。764年(天平宝字8年)に高さ8丈3尺の巨大な露盤を東塔に据えたと言われています。767年(神護景雲元年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の后・光明皇后(こうみょうこうごう)の一切経(いっさいきょう)を賜って如意法堂(にょいはっと)を建立して納め、春・秋2回の一切経悔過を開始したと言われています。774年(宝亀4年)1月10日に師・良弁僧正が亡くなり、その後東大寺の要職を歴任し、最後に権別当(ごんのべっとう)を勤めたと言われています。また790年(延暦9年)から815年(弘仁6年)に華厳経の大学頭(だいがくのかみ)に就任し、華厳教学の充実に尽力しました。815年(弘仁6年)に携わった事業を列記した「東大寺権別当実忠二十九ヶ条」を記しました。実忠は東大寺の財政運営に大きな功績をあげるだけでなく、寺院造営の技術者として傑出していたと言われています。

【東大寺お水取りと実忠和尚】
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東大寺見どころ

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