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慈光院茶室・慈光院見どころ(修学旅行・観光)
慈光院茶室
●慈光院茶室は1944年(昭和19年)9月5日に国の重要文化財に指定されました。
●慈光院茶室は江戸時代前期の1664年(寛文4年)に建てられました。茶室は二畳台目茶室(床付)・二畳次の間などから構成され、茶道石州流の祖で、大和小泉藩第2代藩主・片桐石州(かたぎりせきしゅう)好みの茶室とも言われています。二畳台目茶室の隣に二畳次の間を設けることで、襖を外して四畳台目のように使ったり、懐石の配膳に使ったりすることができ、使い勝手を考えた茶室になっています。
片桐石州(片桐貞昌(かたぎりさだまさ))は1605年(慶長10年)に大和国小泉藩初代藩主・片桐貞隆と今井宗薫の娘の長男として生まれました。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣の際、伯父で、豊臣家の直参家臣・片桐且元の人質として板倉勝重に預けられ、1617年(元和3年)に江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠に拝謁し、片桐家の嫡子として認められました。1624年(寛永元年)に従五位下・石見守に叙任されました。1627年(寛永4年)に父が亡くなると家督を継ぎました。1633年(寛永10年)から京都・知恩院再建の普請奉行を務め、綾小路柳馬場に居を構え、千利休の孫・千宗旦、宗和流茶道の祖・金森宗和、大名・茶人・作庭家である小堀遠州、真言宗の僧侶・文化人である松花堂昭乗らと交友しました。また大徳寺第147世住持・玉室宗珀、大徳寺第185世住持・玉舟宗ばんに参禅し、大徳寺山内に高林庵を建立しました。知恩院の再建後に関東郡奉行などを歴任しました。1663年(寛文3年)に父の菩提の為に臨済宗大徳寺派の慈光院を創建しました。片桐石州は千利休の長男・千道安の高弟・桑山宗仙に茶道を学び、茶道石州流を開祖し、徳川家綱の茶道指南役になりました。ちなみに水戸黄門とも言われる徳川光圀や保科正之なども茶道の門弟でした。なお片桐石州は1673年(延宝元年)12月27日に亡くなりました。
●慈光院茶室は切妻造(きりつまづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
慈光院