称名寺珠光忌2026年5月15日(村田珠光)
称名寺珠光忌(日程・アクセス・概要)
称名寺珠光忌(日程時間など)を紹介しています。珠光忌は村田珠光の命日である例年5月15日に行われます。珠光忌では室町時代中期に草庵風茶道「佗び茶」の基礎を確立した僧侶・茶人である村田珠光を偲びます。珠光忌では本堂・茶室が特別に公開され、客殿では抹茶の接待も行われます。(要確認)(詳細下記参照)
【称名寺珠光忌2026 日程時間(要確認)】
称名寺珠光忌2026は2026年(令和8年)5月15日(金曜日)13:00から行われます。本堂・茶室特別公開は10:00~15:00です。(現在確認中・要注意)
*参考・・・称名寺ホームページ
【称名寺珠光忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市菖蒲池町7
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【称名寺珠光忌 歴史・簡単概要】
称名寺珠光忌(じゅこうき)は村田珠光(むらたじゅこう)の命日(1502年(文亀2年)5月15日)である例年5月15日に行われています。
珠光忌では室町時代(1336年~1573年)中期に草庵風茶道「佗び茶(わびちゃ)」の基礎を確立した僧侶・茶人である村田珠光を偲びます。珠光忌では本堂・茶室が特別に公開され、客殿では抹茶の接待も行われます。(要確認)(抹茶の接待は拝観料に含まれます。10名以上で拝観する場合は予約が必要です。抹茶の接待では待ち時間を避ける為、点て出しになる場合があります。)
●村田珠光は1423年(応永30年)に検校・村田杢市の子として奈良市中御門町で生まれました。11歳の時に出家し、浄土宗・称名寺の僧侶になりました。「珠光」の名前は浄土三部経に数えられる「観無量寿経」の中にある「一々の珠、一々の光」に由来しています。18歳の時に称名寺の塔頭・法林庵に住したが、25歳の頃一旦還俗したとも言われています。京都六条左女牛に住したと言われています。30歳頃に大徳寺・一休禅師に参禅し、茶禅一味の境地を開き、一休禅師から宗経山円悟禅師の墨跡を授けられたとも言われています。喫茶に礼式を興し、室町幕府8代将軍・足利義政が茶道を学んだとも言われ、六条堀川に庵を授け、扁額「珠光庵」も授けたとも言われています。四畳半の座規や台子の法を定め、質実で敬と礼を重んじることを説き、佗び茶の基礎を確立しました。礼式作法は武野紹鴎・千利休に引き継がれ、各流儀は村田珠光を祖としています。 応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))頃に奈良に戻り、東大寺近くの北川端町で庵を営みました。「山科家礼記」1486年(文明18年)8月24日の条に「珠光坊」と記されています。晩年に京都三条柳水町に移りました。なお村田珠光は1502年(文亀2年)6月19日に亡くなりました。大徳寺の塔頭・真珠庵に葬られるとともに称名寺にも分葬されています。
●茶室「獨盧庵(どくろあん)」は珠光庵とも言われています。「獨盧庵」は江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に建てられたと言われています。「獨盧庵」は三畳敷だが、一畳半の鞘の間との敷居を外すと四畳半敷にできます。点前座に中柱と袖壁が建ち、炉は上げ台目切りです。
●本堂には弥陀如来坐像(重要文化財)・釈迦如来坐像(重要文化財)などが安置されています。
【称名寺 歴史・簡単概要】
称名寺は1265年(文永2年)に専英・琳英兄弟が京都・三鈷寺の澄忍上人とともに常行念仏の道場として創建したのが起源とも言われています。専英・琳英兄弟はともに興福寺の学僧で、法相学を修めた後、弥陀本願の法に触れ、念仏の教えを澄忍上人に乞うたとも言われています。当初、興福寺の北に創建されたことから興北寺と称したと言われています。称名寺は朝廷の祈願所に定められ、室町時代に現在の場所に移ったとも言われています。1433年(永享5年)頃に村田珠光が出家したと言われています。その後1704年(宝永元年)の南都の大火や1762年(宝暦12年)の火災で焼失し、1802年(享和2年)に現在の本堂や茶席・独盧奄のみが再建されました。なお称名寺は創建以来興福寺の別院で、四宗兼学だったが、1874年(明治7年)の廃宗の令により、興福寺から離れました。
*参考・・・称名寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【称名寺珠光忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
称名寺(アクセス・見どころ・・・)情報














