十輪院石仏龕・十輪院見どころ(修学旅行・観光)

十輪院石仏龕

●十輪院石仏龕は1925年(大正14年)4月24日に国の重要文化財に指定されました。
●十輪院石仏龕は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に南都仏教の教義を基盤に民間の地蔵信仰の影響を受けて製作されたと言われています。石仏龕は中央に本尊である地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、その左右に釈迦如来(しゃかにょらい)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)が浮き彫りされています。また地蔵菩薩の周りには聖観音(しょうかんのん)・不動明王(ふどうみょうおう)・仁王(におう)・持国天(じこくてん)・多聞天(たもんてん)・五輪塔(ごりんとう)・四天王(してんのう)なども巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界が具現されています。石仏龕には死者の身骨や棺を安置する引導石も置かれています。なお石仏龕には上部・左右に北斗七星(ほくとしちせい)・九曜(くよう)・十二宮(じゅうにきゅう)・二十八宿(にじゅうはっしゅく)の星座が梵字(ぼんじ)で陰刻され、天災消除(てんさいしょうじょ)・息災延命(えんめいそくさい)を願う現世利益の信仰もされていました。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩は仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道(しゅっせじょうどう)するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(地獄道(じごくどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・修羅道(しゅらどう)・人道(にんげんどう)・天道(てんどう))に苦しむ衆生を教化救済するとされています。地蔵菩薩は古代インドのバラモン教の神話に登場し、大地を守護し、財を蓄え、病を治すという大地の女神・プリティヴィが起源とされています。日本では奈良時代に経典が伝わり、平安時代中期から盛んに信仰され、末法思想が広まるにつれて、地蔵菩薩による救済を求める者が多くなりました。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折(ようせつ)した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原(さいのかわら)で石の塔婆(とうば)を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神(どうそじん)と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。地蔵菩薩は「地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。二十八種利益は天龍護念・善果日増・集聖上因・菩提不退・衣食豊足・疾疫不臨・離水火災・無盗賊厄・人見欽敬・神鬼助持・女転男身・為王臣女・端正相好・多生天上・或為帝王・宿智命通・有求皆従・眷属歓楽・諸横消滅・業道永除・去処盡通・夜夢安楽・先亡離苦・宿福受生・諸聖讃歎・聰明利根・饒慈愍心・畢竟成佛です。七種利益は速超聖地・悪業消滅・諸佛護臨・菩提不退・増長本力・宿命皆通・畢竟成佛です。日本では子育て地蔵・子安地蔵・夜泣き地蔵・乳貰い地蔵・田植地蔵・腹帯地蔵・雨降地蔵・勝軍地蔵・延命地蔵などが生まれました。なお地蔵菩薩は剃髪して頭を丸め、袈裟(けさ)を身に着け、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持っています。
●十輪院石仏龕は間口268センチメートル・奥行245センチメートル・高さ242センチメートルで、花崗岩(かこうがん)の切石で築造されています。
花崗岩は二酸化ケイ素が結晶してできた石英(せきえい)とアルカリ金属やアルカリ土類金属などのアルミノケイ酸塩を主成分とする長石(ちょうせき)を主成分とする粗粒な火成岩(かせいがん)の一種です。花崗岩は黒雲母(くろうんも)など有色鉱物が1割ほど含まれているが、全体的に白っぽく見えます。花崗岩は磨き上げると光沢が出て美しいくなり、御影石(みかげいし)として石材に使われています。御影石は神戸市の御影が産地として有名であったことに由来しています。
十輪院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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