海龍王寺経蔵・海龍王寺見どころ(修学旅行・観光)

海龍王寺経蔵

●海龍王寺経蔵は本殿が1907年(明治40年)8月28日に国の重要文化財に指定されました。
●海龍王寺経蔵は鎌倉時代後期の1288年(正応元年)に西大寺中興の祖・叡尊(えいそん)が建立されました。叡尊は堂宇を修造し、経蔵を新築したと言われています。1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に解体修理が行われました。なお経蔵は高床式で、大仏様の影響を大きく受け、一部に禅宗様が取り入れられています。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
叡尊は鎌倉時代前期の1201年(建仁元年)に奈良・興福寺(こうふくじ)の学侶・慶玄(けいげん)の子として大和国添上郡箕田里(奈良県大和郡山市)に生まれたとも言われています。1207年(承元元年)に母が亡くなり、1217年(建保5年)に京都・醍醐寺(だいごじ)の阿闍梨(あじゃり)・叡賢(えいけん)に師事して出家しました。1224年(元仁元年)に和歌山・高野山(こうやさん)に入って真言密教を学び、1235年(嘉禎元年)に戒律の復興を志し、真言律宗(しんごんりっしゅう)総本山である奈良・西大寺(さいだいじ)宝塔院(ほうとういん)の持斎僧(じさいそう)になり、「四分律行事鈔(しぶんりつぎょうじしょう)」を学びました。1236年(嘉禎2年)に奈良・東大寺(とうだいじ)で自誓受戒し、奈良・海龍王寺(かいりゅうおうじ)を経て、西大寺に戻って戒律の普及に勤めました。1240年(仁治元年)に西大寺に入寺し、弟子となる忍性(にんしょう)の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)信仰に影響を受け、その後奈良・額安寺(かくあんじ)西宿で最初の文殊供養を催し、非人を文殊菩薩の化身に見立て非人に斎戒(さいかい)を授けました。ちなみに1269年(文永6年)に奈良・般若寺(はんにゃじ)で文殊菩薩像の落慶供養を催した際、非人2千人を集めた最大の非人供養が行われました。1262年(弘長2年)に鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)の招きで鎌倉に下向し、北条時頼・北条実時(ほうじょうさねとき)に拝謁して授戒しました。また蒙古襲来(元寇)の際には三重・伊勢神宮(いせじんぐう)や京都・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に詣でて異国降伏の祈祷も行いました。叡尊は1286年(弘安9年)に宇治橋を再建し、宇治橋南側の浮島に十三重石塔を建立しました。なお叡尊は1290年(正応3年)9月29日に西大寺で亡くなりました。1300年(正安2年)に伏見上皇(第92代・伏見天皇)の院宣によって興正菩薩(こうしょうぼさつ)の尊号が贈られました。
●海龍王寺経蔵は桁行三間・梁間二間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は鎌倉時代の再建だが、奈良時代の建築を思わせる様式が残されています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
海龍王寺(アクセス・見どころ・・・)

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