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海龍王寺西金堂・海龍王寺見どころ(修学旅行・観光)
海龍王寺西金堂
●海龍王寺西金堂は本殿が1901年(明治34年)3月27日に国の重要文化財に指定されました。
●海龍王寺西金堂は本堂前の西側に建立されています。ちなみに対照の位置にはかつて東金堂が建立され、西金堂と同じように五重小塔が安置されていたが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって基壇跡だけが残されています。西金堂は奈良時代(710年~793年)の海龍王寺創建時に建立されました。奈良時代に建立された小規模の仏堂は西金堂以外に残されておらず、非常に価値の高いと評価されているそうです。その後鎌倉時代に大修理が行われ、創建時と規模や様式に変更はないと言われるが、奈良時代の部材の多く当初の場所でなく、他の場所に転用されたと言われています。1965年(昭和40年)~1966年(昭和41年)にも大修理を受けたが、一部に奈良時代の部材が残されています。なお西金堂は内部に総高約4.01メートルの五重小塔(国宝)を安置しています。
一般的に金堂は本尊仏を安置する本堂(仏堂)のことです。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
五重小塔は奈良時代前期の天平時代(729年~749年)に造られたと言われています。薬師寺東塔(国宝)と似た様式で、奈良時代の建築様式を知るうえで重要とされています。ちなみに薬師寺東塔は奈良時代前期の730年(天平2年)に建立されたと言われるが、その後地震・台風で損傷し、度々修理されています。薬師寺東塔は一見六重塔のように見えるが、三重塔です。三重塔の各層には裳階(もこし)と言われる小さな屋根が取り付けられ、六重塔のように見えます。
●海龍王寺西金堂は桁行三間・梁間二間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。西金堂は中心部の身舎(もや)だけで、周囲に庇(ひさし)がありません。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
海龍王寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)