額安寺五輪塔・額安寺見どころ(修学旅行・観光)

額安寺五輪塔(鎌倉墓)

●額安寺五輪塔(鎌倉墓)は1961年(昭和36年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
●額安寺五輪塔(鎌倉墓)は刻銘によると鎌倉時代後期の1297年(永仁5年)に2基、鎌倉時代末期から室町時代前期に6基の五輪塔が建立されたと言われています。五輪塔はL字形に建立され、西側の5基が東側、北側の3基が南側に面して建立されています。1982年(昭和57年)に解体修理が行われ、1番大きい第1塔が忍性(にんしょう)、第2塔が善願(ぜんがん)の供養塔であることが確認されました。忍性の墓から発掘された骨蔵器などが出土し、骨蔵器に刻まれた銘文から忍性の墓であることが判明しました。
忍性は鎌倉時代前期の1217年(建保5年)8月19日に伴貞行と榎氏の娘の子として大和国城下郡屏風里(奈良県磯城郡三宅町)に生まれました。幼少から母の影響で文殊菩薩(もんじゅぼさつ)信仰を学び、1232年(貞永元年)に病気の母の懇願によって額安寺に入寺して出家し、官僧になりました。三大文殊に数えられる安倍文殊院(あべもんじゅいん)に参詣し、1233年(天福元年)に東大寺(とうだいじ)戒壇院(かいだんいん)で受戒し、その後文殊菩薩の化身と信じられていた僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の墓がある竹林寺(ちくりんじ)などで修行しました。1239年(延応元年)に西大寺(さいだいじ)を再興した真言律宗(しんごんりっしゅう)の祖・叡尊(えいそん)から受戒して弟子になりました。忍性は亡くなった母の解脱の為に非人宿に文殊菩薩の図像を安置することを念願とし、その念願が西大寺に取り入れられ、非人を文殊菩薩の化身とみなす非人救済活動が展開され、1244年(寛元2年)に非人に施粥が行われました。忍性はハンセン病で足腰が立たなくなった奈良坂の非人を毎日市場まで背負って送り迎えしたとも言われています。また忍性は律書の整備も努め、1252年(建長4年)に真言律宗の東国布教の為に関東に下向し、常陸(茨城県)・三村寺に住しました。1259年(正元元年)に極楽寺流の祖・北条重時(ほうじょうしげとき)に招かれて鎌倉に隣接する極楽寺(ごくらくじ)に入寺し、1261年(弘長元年)に鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)らに信頼されて鎌倉に入り、1262年(弘長2年)に北条時頼の要請で下向した師・叡尊を迎え、病気がちの叡尊に代わって受戒を行ないました。また1264年(弘長4年・文永元年)に鎌倉で非人の救済も行ない、その後慈善事業に努めました。忍性は1303年(乾元2年)8月25日に極楽寺で亡くなり、遺骨は竹林寺・額安寺に分骨されました。1328年(嘉暦3年)5月26日に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)から忍性菩薩の諡号を賜りました。
額安寺

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