軽寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

軽寺跡

軽寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。軽寺の本尊であったと言われる薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する教主とされています。薬師如来は一般的に左手に病を癒す為の薬壷を持ち、右手に施無畏の印を結んでいます。

【軽寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市大軽町
最寄り駅・バス停・・・橿原神宮前駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
路線・時刻表・運賃チェック

【軽寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
確認中

【軽寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
確認中

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【軽寺跡 歴史・簡単概要】
軽寺跡(かるでらあと)は奈良県橿原市大軽町にあります。軽寺跡は丸山古墳(史跡)が築かれている丘陵頂部の北側で、大軽町の集落にあります。軽寺は第33代・推古天皇(すいこてんのう)の時代(592年(崇峻天皇5年)~628年(推古天皇36年))に賀留大臣玄理(かるのおとどくろまろ)が唐(中国)から持ち帰った薬師如来(やくしにょらい)像が本尊として創建されたと言われています。軽寺跡からは飛鳥時代後期または白鳳時代(7世紀後半の大化改新~8世紀初期)前期の瓦が出土しています。また日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」朱鳥元年(686年)八月の条に「桧隈寺軽寺大窪寺各封百戸限三十年」と記され、軽寺は桧隈寺(ひのくまでら)・大窪寺(おおくぼでら)とともにそれぞれに30年を期限として百戸が寄進すると言われています。ちなみに軽寺は土壇の位置や地形から法隆寺(ほうりゅうじ)式伽藍で、金堂(本堂)・講堂などの主要伽藍が現在の法輪寺本堂を中心としたエリアに建立されていたと言われています。平安時代中期の1007年(寛弘4年)に関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)が吉野詣りをした際に軽寺に宿泊しました。軽寺周辺には久米寺(くめでら)・大窪寺などの大寺があり、軽寺も大寺だったとも言われています。
*参考・・・軽寺跡(アクセス・見どころ・・・)

【軽寺跡 見どころ・文化財】
軽寺跡の見どころは軽寺跡の土壇です。また頭部の無い石仏なども見どころです。

【軽寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-47-2270(橿原市観光交流センター)

【軽寺跡 おすすめ散策ルート】
軽寺跡では北西にある久米寺を散策するのがおすすめです。更に足を伸ばして橿原神宮まで散策するのもいいかもしれません。

【軽寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

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