春日神社本殿・春日神社見どころ(修学旅行・観光)

春日神社本殿

●春日神社本殿は1920年(大正9年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●春日神社本殿は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されました。1950年(昭和25年)に解体修理が行われ、1979年(昭和54年)に屋根の葺き替えと部分修理が行われ、2003年(平成15年)にも屋根の葺き替えと部分修理が行われました。屋根の葺き替えは25~30年に一度くらいの割合で行う必要があります。なお春日神社はかつて矢田寺(金剛山寺)の鎮守で、祭神・春日神(かすがのかみ)を祀っています。
春日神は春日大社に祀られている武甕槌命(たけみかづちのみこと)・第2殿に経津主命(ふつぬしのおおみこと)・第3殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)・第4殿に比売神(ひめがみ)の4柱を勧請した神のことです。春日神は春日大神などとも書かれ、春日明神(かすがみょうじ)・春日権現(かすがごんげん)などとも称されています。なお春日大社(かすがたいしゃ)は全国に約1,000社ある春日神社の総本社とされています。
矢田寺は寺伝によると飛鳥時代後期の679年(天武天皇8年)に智通僧上(ちつうそうじょう)が第40代・天武天皇(てんむてんのう)の勅願により、七堂伽藍(しちどうがらん)四十八坊を矢田山中腹に創建し、十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのん)・吉祥天(きっしょうてん)を安置したのが起源と言われています。第40代・天武天皇(大海人皇子・おおあまのみこ)は672年(天武天皇元年)の壬申の乱(じんしんのらん)の際に矢田山に上って、戦勝祈願を行ったと言われています。ちなみに矢田寺の名称は万葉の昔からの地名・矢田の里に由来しています。平安時代前期の弘仁年間(810年~823年)に満米上人(まんべいしょうにん)が地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を安置して以来、地蔵信仰の中心地として信仰されるようになりました。矢田寺の地蔵菩薩は矢田型地蔵と言われ、右手が阿弥陀如来(あみだにょらい)の来迎印(らいごういん)のようになっています。ちなみに延命地蔵菩薩(えんめいじぞうぼさ)は日本最古の延命地蔵とも言われています。その後兵火によって伽藍の多くを焼失しました。なお矢田寺は現在北僧坊・大門坊・念仏院・南僧坊の4つの僧坊の総称となっています。
●春日神社本殿は桁行2.8メートル・梁間1.5メートルで、一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は近くに祀られている矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の末社・八幡神社(はちまんじんじゃ)の社殿(重要文化財)に似ているが、細部の手法から時代が下がって建立されたと言われています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です

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