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春日大社榎本神社・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社榎本神社
●春日大社榎本神社は南回廊西側にある摂社です。榎本神社はかつてこの地、春日の地主の神(地主神)として祀られていたが、春日大社創建後に一時阿倍山(あべやま・奈良県桜井市)に移され、平安時代中期の935年(承平5年)にこの地に再び戻されたと言われています。ちなみに現在、榎本神社は猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神として祀っているが、中世までは巨勢姫明神(こせひめみょうじん)という女神を祭神として祀っていたと言われています。江戸時代初期の1603年(寛文3年)の文献に「猿田彦大神」と記されています。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「大和国添上郡 春日神社」と記され、式内社(しきないしゃ)に列せられました。ちなみに平安時代後期の1084年(応徳元年)に「榎本」という社名が初めて見られます。江戸時代に榎本社と言われ、(明治9年)に式内春日神社と改称し、その後榎本神社になりました。なお榎本神社は寿命を守る神として信仰され、江戸時代後期の1775年(安永4年)に宮中で祈祷も行われました。また導きの神・道開きの神としても信仰されています。
榎本神社には土地交換の説話が残されています。藤原京が都だった頃(飛鳥時代後期の694年(持統天皇8年)~710年(和銅3年))、春日大社の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は藤原京東方の阿倍山に祀られていたが、春日の地主の神・榎本の神が阿倍山の武甕槌命のもとを訪ね、「春日(春日野)と阿倍山を交換してほしい」と相談し、武甕槌命はそれに応じました。しかし間もなく都が藤原京から平城京に移され、阿倍山に移った榎本の神は参拝者が少なくなって貧乏になり、武甕槌命に助けを求めました。武甕槌命は春日大社の傍に移るようにと言ったとされています。
●春日大社榎本神社は春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。春日造は奈良市の円成寺(えんじょうじ)の春日堂(国宝)・白山堂(国宝)が最古の例になります。ちなみに春日堂・白山堂は鎌倉時代の1228年(安貞2年)に春日大社の本殿を移築したものと言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ