春日大社額塚・春日大社見どころ(修学旅行)

春日大社額塚

●春日大社額塚は南門(重要文化財)前にあります。南門にはかつて神額「鹿嶋大明神」が掲げられていたが、落雷によって神額が砕け落ち、この場所に大きな穴が開きました。その大きな穴に神額を埋納し、大きな穴を塞ぐ為に大きな石を被せたが、その一片が地表に現れたことから一種の磐座として祀られています。ちなみに春日大社は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮(鹿嶋大明神)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山の山頂・浮雲峰に勧請したのが起源と言われています。なお額塚は春日大社の第三殿に祀られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)と第四殿に祀られている比売神(ひめがみ)の子神・天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)である赤童子がこの地から出現した出現石という伝説もあるそうです。
南門は平安時代末期の1179年(治承3年)に創建され、現在の南門は南北朝時代の1382年(弘和2年・永徳2年)~1385年(元中2年・至徳2年)に再建されたとも言われています。南門は平安時代中期頃に藤原氏の長者や摂関(摂政・関白)による春日詣が始まり、その際の参向門(さんこうもん)とされ、桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に廻廊が建立された頃に現在のような2階建て楼門になりました。なお南門は高さ約12メートルの三間一戸楼門(さんげんいっころうもん)で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひはだぶき)です。
鹿島神宮(鹿嶋神宮)は社伝によると紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇は宮崎・高千穂宮(たかちほのみや)からの東征の半ばに思わぬ窮地に陥ったが、祭神・武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)のふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救われ、紀元前660年(神武天皇元年)に初代・神武天皇が奈良・橿原宮(かしはらのみや)で即位した際、その神恩に感謝して武甕槌大神を勅祭したとも言われています。その後東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良時代・平安時代に国の守護神として篤く崇敬され、奉幣使(ほうへいし)が頻繁に派遣されたり、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮が行われたりしました。奈良時代後期の777年(宝亀8年)に神階・正三位に叙され、「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「鹿島神宮 名神大 月次新嘗」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が社領を寄進したと言われ、その後武家に信仰されて武神と崇敬されました。江戸時代に江戸幕府初代将軍・徳川家康などの武将から崇敬され、1605年(慶長10年)に徳川家康が奥宮(重要文化財)、1619年(元和5年)に江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠が現在の社殿(重要文化財)、1634年(寛永11年)に常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房が楼門(重要文化財)などを造営しました。なお鹿島神宮は武甕槌大神を祀っています。ちなみに鹿島神宮は千葉県香取市の香取神宮(かとりじんぐう)・茨城県神栖市の息栖神社(いきすじんじゃ)とともに東国三社に数えられました。
若宮神社は平安時代後期の1135年(保延元年)に造営され、榎社と言われていたそうです。大雨・洪水による飢饉が続き、疫病が蔓延したことから万民救済の為に春日大社と同じ規模の神殿が造営されました。翌1136年(保延2年)に関白・藤原忠通が五穀豊穣・万民安楽を祈願する為、春日若宮おん祭を始めました。なお1876年(明治10年)に社名を若宮神社に改めました。
春日大社見どころ

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