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春日大社一言主神社・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社一言主神社
●春日大社一言主神社は春日大社から水谷神社方面に向かう途中に祀られている春日大社の末社です。一言主神社は平安時代初期に興福寺(こうふくじ)の南円堂(重要文化財)近くに創建されたと言われています。ちなみに現在、興福寺の南円堂近くには一言観音堂が建立されています。その後江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)に現在の社殿が再建され、明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって春日大社境内の現在の場所に移されました。なお一言主神社は一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)を祀り、1つだけ願い事を叶えてくださると言われています。絵馬に1つ願い事・住所・指名を記入し、神前に掛けます。(初穂料必要)
一言主は大和(奈良)の葛城山の神です。一言主は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」によると460年(雄略天皇4年)に第21代・雄略天皇が葛城山に鹿狩りに行った際、天皇一行と何から何まで同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見つけました。第21代・雄略天皇が誰かと問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えました。第21代・雄略天皇は畏れ、衣服や弓矢などを献上し、一言主神はそれを受け取って天皇一行を見送ったと言われています。
興福寺は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足の妻・鏡大王が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺と言われました。奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、延暦寺とともに南都北嶺と称されました。平安時代に春日大社の実権も手に入れ、大和国を領するほどになりました。
南円堂は平安時代前期の813年(弘仁4年)に左大臣・藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父で、右大臣・藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)の冥福を願って建立しました。現在の南円堂は4代目で、江戸時代中期の1741年(寛保元年)に立柱し、1789年(寛政元年)に再建されました。南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)坐像を安置し、西国三十三所の第9番札所になっています。
一言観音堂は諸々の願い事を一つずつ聞き届けるとも言われる一言観音が祀られています。一度に多くの願いをするのではなく、願いが成就すると次の願いをするとよいとされています。
●春日大社一言主神社はは春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。春日造は奈良市の円成寺(えんじょうじ)の春日堂(国宝)・白山堂(国宝)が最古の例になります。ちなみに春日堂・白山堂は鎌倉時代の1228年(安貞2年)に春日大社の本殿を移築したものと言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
春日大社見どころ