春日大社春日明神遥拝所・春日大社見どころ(修学旅行・観光)

春日大社春日明神遥拝所

●春日大社春日明神遥拝所は正方形にしめ縄が張られ、その中に9個の石(居石(すえいし))が縦3列・横3列に整然と置かれています。鎌倉時代に明恵上人が春日大社本殿を遥拝したと言われています。「春日大宮若宮御祭禮図(かすがおおみやわかみやおまつりれいず)・1742年(寛保2年)」に「明恵上人明神を拝し給ふ所と云」と記されています。ちなみに能「春日龍神(かすがりゅうじん)」では明恵上人が中国・インドに渡って仏跡を巡る入唐渡天(にっとうとてん)を志し、暇乞いの為に春日大社に参詣します。そこで神官と思われる老人に出逢って入唐渡天を告げると神慮に背くことになると言って引き止め、明恵上人は心を改め、神託と受け止めて入唐渡天を思い留まります。春日明神遥拝所は春日皇大神(かすがすめおおかみ)を祀り、ひらめきのご利益があるとも言われています。なお元春日枚岡神社遥拝所は若宮十五社めぐりの第9番納札社になっています。
明恵上人は平安時代末期の1173年(承安3年)2月21日に高倉上皇(第80代・高倉天皇(たかくらてんのう))の武者所に仕えていた平重国(たいらのしげくに )と紀伊国(和歌山)湯浅城城主・湯浅宗重(ゆあさむねしげ)の四女の子として生まれました。1180年(治承4年)に両親が亡くなり、翌1181年(養和元年)に京都・神護寺(じんごじ)に入り、尊実(そんじつ)・景雅(けいが)らに密教・華厳(けごん)を学び、鎌倉時代初期の1188年(文治4年)に叔父で、文覚(もんがく)の弟子・上覚(じょうかく)を師事して出家し、奈良・東大寺(とうだいじ)戒壇院(かいだんいん)で修行者が遵守すべき具足戒(ぐそくかい)を受けました。また京都・勧修寺(かじゅうじ)慈尊院(じそんいん)2世・興然(こうぜん)から密教を学び、東大寺尊勝院(そんしょういん)で華厳学の研究に励みました。1195年(建久6年)に紀州白上の峰(しらがみ)に遁世して籠り、1198年(建久9年)に京都・高雄(たかお)に戻ったが、その後紀伊国内を転々としました。1206年(建永元年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))から栂尾(とがのお)の地を下賜されて高山寺(こうさんじ)を開山しました。明恵上人は華厳教学の研究などの学問や坐禅修行などの観行に励み、戒律を重んじて顕密諸宗の復興に尽力しました。明恵上人は「摧邪輪(ざいじゃりん)」・「摧邪輪荘厳記(しょうごんき)」・「華厳唯心義(けごんゆいしん)」・「華厳信種義(けごんしんしゅぎ)」・「入解脱門義(にゅうげだつもんぎ)」などを記しました。また40年の夢想を記録した「夢記」も記しました。なお明恵上人は鎌倉時代の1232年(寛喜4年)1月19日に亡くなりました。
若宮十五社めぐりは若宮神社・三輪神社・兵主神社・南宮神社・広瀬神社・葛城神社・三十八所神社・佐良気神社・春日明神遥拝所・宗像神社・紀伊神社・伊勢神宮遥拝所・元春日枚岡神社遥拝所・金龍神社・夫婦大国社の順に巡ります。
春日大社見どころ

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