春日大社金龍神社・春日大社見どころ(修学旅行・観光)

春日大社金龍神社

●春日大社金龍神社は鎌倉時代末期の1331年(元弘元年)8月25日に創建されたとも言われています。1331年(元弘元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する倒幕計画が側近で、公卿・吉田定房(よしださだふさ)の密告によって発覚しました。後醍醐天皇は三種の神器を持ち、女装して御所を脱出し、山城国笠置山(京都府相楽郡笠置町)で挙兵した。その際に春日大社に立ち寄り、鏡を櫟屋(いちいのや)に奉納して天下の安泰を願ったのが金龍神社の起源とも言われています。鏡は宮中(禁裡)に奉安されていたことから金龍神社は「禁裡殿(きんりでん)」とも言われています。その後後醍醐天皇は側近で、公卿・千種忠顕(ちくさただあき)とともに鎌倉幕府に捕らえ、隠岐島に配流されました。金龍神社は金龍大神(きんりゅうおおかみ)を祀り、開運・財運などのご利益があるとも言われています。ちなみに金龍神社で8月25日に行われる例祭は後醍醐天皇が奈良に逃げてきた日に合わせて行われています。後醍醐天皇聖蹟金龍殿址の石碑も建立されています。
第96代・後醍醐天皇は1288年(正応元年)11月26日に大覚寺統(だいかくじとう)の第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう)と五辻忠子(いつつじちゅうし)の第2皇子として生まれました。1302年(正安4年)に親王宣下を受け、1304年(嘉元2年)に大宰府(だざいふ)の長官・大宰帥(だざいのそち)になり、帥宮(そちのみや)と言われました。1308年(徳治3年)に持明院統(じみょういんとう)の第95代・花園天皇(はなぞのてんのう)が即位すると皇太子になり、1318年(文保2年)に第95代・花園天皇が譲位すると第96代・後醍醐天皇に即位しました。即位後は後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が院政を行っていたが、1321年(元亨元年)に後宇多法皇の院政を停止し、天皇の親政を始めました。吉田定房(よしださだふさ)・北畠親房(きたばたけちかふさ)らの人材を集めて記録所を再興し、政治改革を始めました。また鎌倉幕府打倒を図ったが、1324年(正中元年)の正中の変・1331年(元弘元年)の元弘の乱に失敗し、1332年(正慶元年)に隠岐(おき)に流されました。その後隠岐を脱出し、1333年(元弘3年)に鎌倉幕府が滅ぶと京都に戻り、建武の新政(けんむのしんせい・建武の中興(けんむのちゅうこう))を開始しました。しかし室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)と対立し、京都を脱出して奈良・吉野に南朝を樹立し、南北朝時代が始まりました。第96代・後醍醐天皇は1339年(延元4年・暦応2年)9月19日に退勢を挽回(ばんかい)できずに悲運の内に吉野で崩御しました。
●春日大社金龍神社は春日造(かすがづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。
春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。春日造は奈良市の円成寺(えんじょうじ)の春日堂(国宝)・白山堂(国宝)が最古の例になります。ちなみに春日堂・白山堂は鎌倉時代の1228年(安貞2年)に春日大社の本殿を移築したものと言われています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
春日大社見どころ

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